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宮本恒靖が明かす「フラット3」の裏話。トルシエ監督には伝えず「微調整」していた (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

W杯初勝利を飾ってDF陣たちと喜びを分かち合う宮本(右から2人目)。photo by Getty imagesW杯初勝利を飾ってDF陣たちと喜びを分かち合う宮本(右から2人目)。photo by Getty imagesこの記事に関連する写真を見る 結果的に、選手たちの判断は功を奏した。

「トルシエ監督も『なんで(ラインを)上げないんだ』って、たぶんロシア戦の間も言っていたと思うんですよね、前半なんかは特に。でも、『わかっています』と言いつつ、ピッチのなかの空気を大事にしていたということですね」

 グループリーグ初戦こそ、フラット3の弱点を突かれる形でベルギーと引き分けた日本だったが、第2、3戦ではロシア、チュニジアをそれぞれ無失点に抑え、2連勝。終わってみれば、グループ首位通過を果たしていた。

「ロシア相手に、もちろん危ないシーンも作られたんですけど、でもゼロに抑えて勝利し、チュニジアにも勝った。チーム力が高まっているというか、みんなの自信が高まっているというような、そんな手応えはありました」

 2度目のワールドカップ出場にして、日本が初めてたどり着いた決勝トーナメント。選手たちが自ら考え、行動し、その末に開いた新たな歴史の扉だった。

(つづく)

宮本恒靖(みやもと・つねやす)
1977年2月7日生まれ。大阪府出身。現役時代はガンバ大阪の中心選手として長年活躍した。その他、オーストリアのザルツブルク、ヴィッセル神戸でもプレー。各世代別代表でも奮闘し、1993年U-17世界選手権、1997年ワールドユース、2000年シドニー五輪に出場。その後、A代表入りも果たし、2002年、2006年とワールドカップにも2度出場した。現役引退後は、解説者として奔走する一方で、FIFAマスターを取得。2015年にガンバのアカデミーコーチに就任。以降、ユース監督、U-23監督を経て、トップチームでも手腕を揮った。現在は日本サッカー協会の理事を務める。

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