2002年生まれの選手にとっての日韓W杯。「運命的」「サッカーをするために生まれてきた」
日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
2002年生まれの選手が語る日韓W杯
2002年ワールドカップ日韓大会が開かれてから、20年が経過した。
当時は、まだ日本がワールドカップに出場すること自体、当たり前ではなかった時代である。そんな憧れの大会が日本にやってきたとあって、サッカーファンのみならず日本中の人たちが、寝ても覚めてもワールドカップ、という状態に陥った。
日本戦のテレビ中継はスポーツ番組歴代上位の視聴率を連発。一方で、チケット販売を巡っては不正問題(チケット完売のはずのスタジアムに空席が目立つなどの事態が起きた)が発覚するなど、よくも悪くもサッカーが、あれほどの国民的関心事に、しかも1カ月間もの間、なり続けたことはなかっただろう。
20年前、日本中が熱狂した日韓W杯この記事に関連する写真を見る しかし、あれから20年。そんな熱狂をしっかりと記憶にとどめているのは、年齢的に考えて、主に30代以上の世代だろう。
つまり、現役Jリーガーであっても、その多くが2002年ワールドカップを知らない世代なのである。彼らにとっては、日本中が熱狂に包まれた日々も、もはやリアリティのない歴史上の出来事にすぎないのかもしれない。
そこで、今年20歳になった(なる)2002年生まれのJリーガーたちに話を聞いた。メモリアルイヤーに生まれたJリーガーにとっての2002年ワールドカップとは――。
藤田譲瑠チマ(横浜F・マリノス/MF)
2002年2月16日生まれ。東京都出身。今季J1リーグ13試合出場0ゴール。AFCチャンピオンズリーグ6試合出場0ゴール(5月末時点。以下同じ)。
自分が生まれた年に日本でワールドカップがあったことは知っていますが、試合を見たことはないです。
それを知ったのは、プロに入ってから。昔のことにそんなに興味がないので、高校の時までは知りませんでした。プロに入った時に、先輩から「お前、何年生まれ?」って聞かれて、「2002年です」と答えたら、「じゃあ、ワールドカップがあった年だな」って。それより前にも、たぶん聞いたことはあったと思いますけど、ちゃんと認識したのは、そこからです。
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