J開幕前夜の劇的な日本代表の一戦。福田正博は自身のベストゲームにチョイス「あの時がピークだった」 (5ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Etsuo Hara/Getty Images

 こうしてアジアカップで初の決勝進出を果たした日本は、決勝でもサウジアラビアを1-0で下し、初優勝。日本代表の試合に閑古鳥が鳴くのは当たり前だった時代にあって、決勝には6万人の観衆が詰め掛けた。

 そして、この大会で火がついたサッカー人気は、翌年に誕生するJリーグへと引き継がれ、日本サッカーは空前の盛り上がりを見せていく。

 と同時に、日本代表もまた、当時は夢のまた夢だったワールドカップ出場を、現実的な目標としてとらえられるまでに成長していた。

「僕はオフトと最初は思うようにいかなかったけれど、オランダ遠征やダイナスティカップを経て、非常にいい関係性になっていて、この頃が精神的にも一番安定している時期でした。本当はその次の年("ドーハの悲劇"があった1993年)にピークが来なきゃいけなかったんだろうけど......、残念なことに、僕はあの時がピークだったような気がします。

 自分のサッカー人生を振り返っても、代表のなかで一番充実していた時期だったのかなと思っています」

(つづく)後編はこちら>>

福田正博(ふくだ・まさひろ)
1966年12月27日生まれ。神奈川県出身。中央大卒業後、JSLの三菱重工(浦和レッズの前身)入り。ルーキーながらレギュラーを獲得し、以来"チームの顔"となる。Jリーグ開幕後も中心選手として奮闘し「ミスター・レッズ」と称される。同時に日本代表でも活躍。国際Aマッチ出場45試合、9得点。2002年シーズンを最後に現役引退。現在はサッカー指導者、解説者として日々奔走している。

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