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福田正博が激白する『ドーハの悲劇』が起こったもうひとつの理由。黎明期にあった日本サッカーの明と暗

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Kyodo News

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日本代表「私のベストゲーム」(9)
福田正博編(後編)

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「ネガティブな感情をまったく持たずにプレーしている時期だったような気がします」

 日本が初めて優勝した1992年アジアカップ当時を、福田正博はそんな言葉で振り返る。

「僕らはとにかく、目の前の試合を勝ちながら自信をつかんでいくことで、アジアカップでも優勝できたんです」

 つまりは、無欲ゆえの快挙達成である。

オフト監督の指導のもと、初めてアジアの頂点に立った日本代表だったが...オフト監督の指導のもと、初めてアジアの頂点に立った日本代表だったが...この記事に関連する写真を見る だが、初めて手にしたビッグタイトルは、皮肉なことに、福田をはじめとする選手たちを次第に萎縮させてしまう。

「優勝したことによって、『もしかしたらワールドカップに出られるかもしれない』ってなった時に、"出なきゃいけない"義務感みたいなものが生まれてきましたよね。それが重荷になって、負けることが怖くなり、自分たちが持っている本来のよさを出しきれなくなった。

 アジアカップの時はそうではなく、チャレンジャーとしての強さがあったんですけどね」

 ハンス・オフトにとっては、日本代表監督の任に就いた瞬間から、最終目標はあくまでもワールドカップ出場だった。「アジアカップは通過点」。事実、オフトは節目ごとにそう語っている。

「オフトには、そのビジョンがあっただろうし、当然、それを期待されて就任して、十分行けると思っていたのかもしれません」

 しかし、選手は違った。アジアカップ優勝を境に、それまで夢物語だったものが、突如として現実味を帯びたのである。

「それが、本当に目の前に近づいてくると、よりプレッシャーになったのは事実です」

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