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「自分自身、もっと何かができたんじゃないか...」坪井慶介のサッカー人生における唯一の悔恨 (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Getty Images

 同い年とはいえ、それまで彼らと同じチームでプレーした経験はなく、接点らしい接点と言えば、高校時代に小野や高原と東海地区の大会で対戦したことくらい。なかでも高原を擁する清水東との試合は、ポジション的に直接マッチアップする機会が多かったこともあり、坪井にとっては印象深い思い出だ。

「でも、僕が一方的に覚えているだけで、向こうは僕のことを認識していないですから(苦笑)」

 ある時、坪井は高原に尋ねてみたことがあるという。

坪井「清水東が四中工と試合したでしょ? あの時、オレ、相当おまえのマークについていたよ」

高原「え? もしかして、おまえ、あの長髪のセンターバック?」

坪井「そう、それ」

「僕、当時、髪の毛が長かったんですよね。なので、タカ(高原)もかろうじて覚えていたみたいです(笑)」

 ライバルであると同時に、目標でもあった同級生たちとチームメイトになってもなお、「彼らに追いついたとは思っていなかった」という坪井。だが、控えめな言葉とは裏腹に、その後は日本代表の主力に定着。ついには、ともにワールドカップのピッチに立つことも実現した。

 ところが、ようやくたどり着いた夢の舞台は、皮肉なことに坪井のサッカー人生における「唯一の後悔」として記憶されている。

「当時の日本代表には、特に中盤より前の選手たちに関しては、今でもあの時のメンバーが一番スゴかったって言う人もいるくらい、ものすごく力のある選手たちがいたと思います。でも、その個が最終的にチームとして融合して、すばらしい力を発揮したかっていうと、そうはならなかった。もちろん、力が出せた試合もあるけど、すべての試合で出せたかっていうと、そうではなかったと思います」

 坪井は、中盤や前線の選手たちを責めているわけではない。むしろ、後悔の本質は「後ろ(DF)の選手として、彼らの力をすべて引き出すことができなかった」ことにある。

「僕は26歳でしたけど、当時の代表のなかではまだ若いほうではあったので、強烈な先輩たちに臆してしまって、もっとこうしたほうがいい、ああしたほうがいいっていうことを発言しきれなかった。

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