「自分自身、もっと何かができたんじゃないか...」坪井慶介のサッカー人生における唯一の悔恨 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Getty Images

 だが、小野伸二、高原直泰、稲本潤一ら、同世代の中心メンバーが高校卒業と同時に、あるいは高校卒業すら待たずにJリーグへと飛び出していく陰で、坪井はというと「高校(四日市中央工)を卒業する時点では、プロになる道はなかったので、大学4年間が最後のチャンスだと思っていました」。

 福岡大学入学時も、「サッカー部の監督に『僕はプロになるためにここに来ました』って宣言して、『だから、教職もとりません』って言いました。ちょっと変なヤツだったんです(苦笑)」。

 そんな坪井が「大学時代もかなり意識していました」と振り返るのは、ひと足先にプロの世界に飛び込んだ同級生たちの活躍。だからこそ、坪井はストイックなまでに自己鍛錬に励んだ。

「筋トレひとつ、ランニングひとつにしても、アイツらはもっとやっているんだとか、アイツらよりやればオレはプロになれるんだとか、そういう思いでずっとやっていましたからね。

 大学の4年間というのは、かなり精神的な部分で成長ができたと思います。自分で遊ぼうと思えば遊べますし、ラクな道へ行こうと思えば行けるので、その分、自制したり、自分で判断して行動したりする部分は確実に磨かれる。

 自分で明確に目標設定をして、トライアンドエラーを繰り返しながら、その目標へどうチャレンジしていくか。自分で判断して、行動して、評価をして、っていうことを大学時代にかなりやってきたので、それはプロに入ってからもすごく生かされた気がします」

 福岡大を卒業後、浦和レッズ入りした坪井は、ルーキーにしてセンターバックのポジションを手にすると、たちまち評価を高め、Jリーグ新人王を獲得。冒頭に記したとおり、ルーキーイヤーの11月には、早くも同世代の仲間たちが待つ日本代表にも初選出された。

「プロに入って(浦和で)1試合でも早く試合に出るっていうことは、夢というよりは、本当にやらなければいけない目標設定として自分なりに考えていましたけど、それ以上のこと(日本代表選出)は正直、なかなかイメージできていなかったです。

 実際に(同級生の)彼らと代表で一緒に活動するまでは、同い年なんだけど、なんかこう......、目上の人みたいな感じでした。初めて会った時は、『あ、稲本さん! 僕のこと知ってますか』みたいな(笑)。すぐに仲良くなりましたけどね」

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