名波浩が振り返る「伝説の一撃」。日本代表のゴールの五指に入る!
「史上最強」と称された日本代表
――第4回
2000年アジアカップ。日本は圧倒的な強さを見せて2度目のアジア制覇を遂げた。当時、その代表チームは「史上最強」と称された。20年の時を経て今、その強さの秘密に迫る――。
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準々決勝のイラク戦を振り返り、名波浩がまず口にしたのは、苦々しい記憶だった。
「事前のスカウティングで『10番(アバス・オベイド・ジャシム)には注意しろ』って言われていたのに、開始5分くらいかな、案の定、そいつにあっさりやられてしまって」
順当に、というより、あっけないほど楽々とグループリーグを突破した日本は、しかし、準々決勝では試合開始4分にして、いきなりイラクに先制を許した。
「(日本はそれまで)点が取れているチームだったし、まだ時間も十分に残っている。でも、2点差になったらツラいな」
名波はそんなことを思い、「初戦のスタートと同じように、少し(守備重視で)後ろに重心を置いたほうがいいのかな」と考えていた。
実際、この大会の日本代表は圧倒的な攻撃力とは裏腹に、若さゆえか、あまりにイージーな失点を重ねてもいた。名波が語る。
「(初戦の)サウジ戦は、(DFの森岡)隆三と(GKの川口)能活がお見合いのような感じになったところから失点して、(2戦目の)ウズベキ戦はセットプレー(でやられた)でしょ。このイラク戦も、クリアミスっぽいのを(ミドルシュートで)ズドンとやられて。この大会は、結構ミスがらみの失点が多かった。ミスしちゃいけないエリアでのミスが失点に直結していたんで、守備の状態としては、そんなによくなかったよね」
この失点も細かなミスが招いた、ある意味で当然の報いだった。
小さな綻びに気づくことなくグループリーグを勝ち上がってきたチームが、決勝トーナメントの初戦でつまずく――強豪国が陥りがちな落とし穴に、日本もまたハマる可能性は十分にあった。
「グループリーグが自信になって、先制されても慌てない雰囲気があった」とは、明神智和の弁。とはいえ、「0−1の状態が長引けば、やはりバタバタしたり、焦りが出たりしたと思う」とも認める。
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