20年前の若き日本代表は、苦境を跳ね返し「大人の集団」になっていった

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki

「史上最強」と称された日本代表
――第5回

2000年アジアカップ。日本は圧倒的な強さを見せて2度目のアジア制覇を遂げた。当時、その代表チームは「史上最強」と称された。20年の時を経て今、その強さの秘密に迫る――。

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 日本にとって、2大会ぶりとなる準決勝の相手は中国。この大会では初めての東アジア勢との対戦となったが、当時の日本が少なからず"中東コンプレックス"を抱えていたことを考えれば、むしろやりやすい相手だった。

 しかも中国とは、日本が優勝した1992年大会でも同じ準決勝で対戦しており、そのときは日本が3-2で勝利。相性も悪くなかった。

 しかし、日本が先制して始まった試合は、思わぬ展開へと進んでいく。

「(フィリップ・トルシエ)監督も言っていましたけど、今までの結果と関係なく、ベスト4からは本当に難しい試合になるだろう、と。ベスト8までは、自分たちでもイケるな、っていう思いはありましたけど、ここから先は本当にタフな試合になると覚悟していました」

 そう語る明神智和は、「案の定、中国戦は厳しかったですし、自分自身もミスをして点を取られてしまって......」と、表情を硬くする。

 この大会の日本は、圧倒的な強さを見せる一方で、意外なほどミスからの失点が多かったことはすでに記した。そしてそれは、この準決勝も例外ではなかった。

 日本は、前半21分に速いクロスから相手のオウンゴールを誘って、幸先よく先制したのも束の間、30分に同点ゴールを許してしまった。

 すると後半4分、敵陣右サイドで明神がピッチ中央方向へ戻すように出した不用意なバックパスを奪われ、中国のFW揚晨に、今度は逆転ゴールを決められてしまうのである。

「連戦の疲れを含めて、前半からいつもより体が重いなとか、ちょっとキレがないなとか、そういうことを感じていました」

 明神自身がそう語るように、堅実なプレーが持ち味の明神らしからぬパスミスは、それ以前の時間から目についていた。幸いにして大事には至らずにいたものの、本人曰く「やってはいけないミス」は、後半開始早々にして起きてしまった。それは致命傷になりかねない、決定的なミスだった。

「初めて試合中にテンパるというか、後半のその後っていうのは、多少引きずっていましたね」

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