「トルシエvs選手」という対立があっても、日本代表が強くなれたわけ
「史上最強」と称された日本代表
――第3回
2000年アジアカップ。日本は圧倒的な強さを見せて2度目のアジア制覇を遂げた。当時、その代表チームは「史上最強」と称された。20年の時を経て今、その強さの秘密に迫る――。
初戦からの2連勝で、グループリーグ通過ばかりか、首位通過が決まった日本は決勝トーナメントを見据え、3戦目のカタール戦では大きく先発メンバーを入れ替えた。
「(それまで出番がなかった選手も)みんな出られたのは、よかったんじゃないかな。といっても、オレは自分が出ることになったから納得いかなかったけど。しかも、フル出場だからね」
名波浩が苦笑まじりにそう話したように、3試合連続で先発出場したのはキャプテンの森岡隆三の他、チーム最年長の名波のみだった。
結果は1-1。日本は前半にして退場者(37分にDF海本慶治が2枚目のイエローカードを受けた)を出したうえ、先制点も許したが、慌てることなく同点に追いつき、「10人になったが、ひっくり返せそうなシーンもあった」(名波)。
3連勝はならなかったものの、2勝1分けの無敗で準々決勝進出。総得点13、総失点3という、得失点差プラス10のオマケつきだった。
2000年アジアカップで日本を頂点に導いたフィリップ・トルシエ監督。REUTERS/AFLO 当時はフィリップ・トルシエが日本代表監督に就任し、すでに2年が経過していたが、「フラット3」を代名詞とする、このフランス人監督が志向するサッカーを懐疑的に見る向きは少なくなかった。
しかし、周囲の雑音を封じ込めるように、この大会の日本代表は分厚い攻撃から、易々とゴールを量産した。
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