「トルシエvs選手」という対立があっても、
日本代表が強くなれたわけ (3ページ目)
また、山本がトルシエの手法で驚かされたのは、ピッチ外のマネジメントである。
「(中村)俊輔も、『トルシエの話を聞いていると、やれるぞ、っていう気になるんだよね』って、以前話していたことがありますが、トルシエはミーティングのやり方がうまくて、選手の感情をうまく引き出すんです」
ただし、気にかかるところもなかったわけではない。
「選手とは常にぶつかっていましたからね。上から押さえつける感じのチーム作りだったので、あのチームは基本、"やらされている感"満載でしたから(苦笑)。それでも、下の(シドニー世代の)グループは若いし、(五輪代表を通じて)慣れているから文句を言わない。だけど、(名波ら)上のグループは経験もあるから、どうしても『あれはないよ』とか、『もうオレ、やってられねぇよ』とか、主張してきますよね」
大会前、名波が平均年齢およそ24歳の若いチームを懸念していたのも、そこだった。
「自分たちの世代が(27、28歳で)一番上になってしまったのが、ちょっと怖いっていうか。オレたちの上に包容力のある人がいてくれないと、何かあったときに"選手vsトルシエ"になってしまって、誰も守ってくれない感じになるのは嫌だなって。そういう不安は、個人的にはありましたね」
名波は最年長ゆえ、「それ(選手と監督とのつなぎ役)をやるべきなのは、オレだったかもしれない」という気持ちもあった。だが、自分が適役とは思えない理由もまたあった。
「オレは一度、トルシエとやらかしていたんで」
詳細はあとに譲るが、日本が1999年のコパ・アメリカに出場した際、名波は考え方の相違からトルシエと衝突していたのである。
「それはもう、選手もスタッフもみんな知っている。そんななかで、もし自他ともにオレがその役目にふさわしいと認めていたら、たぶん、ここに(キャプテンマークを)巻いていたと思うから」
そう言って、名波は左腕をさする。
「オレが巻かなかったっていうのは、たぶんトルシエは、オレに任せたらぶつかるのがわかっていたから。だったら、おまえはちょっと俯瞰したところで見ておけよ、と。こうなるともう、山本さんだけでしたね、オレらを守ってくれるのは」
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