名波浩が振り返る「伝説の一撃」。日本代表のゴールの五指に入る! (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

「イラクは前回大会に出ている選手が何人かいて、おそらく国際Aマッチのキャリアとしては、日本より上だったと思います。でも、技でも力でも相手を上回った。最終的には6点くらい入っていてもおかしくないゲームでした」

 実はこの試合、次の準決勝で対戦する中国代表がスタンドで観戦していた。監督のボラ・ミルティノビッチは、彼のトレードマークでもあるビデオカメラを片手に、日本の戦いに熱い視線を送っていた。

 名波は、試合前にそのことが話題となっていたのを記憶している。

「確か、俊輔が(スリーピングなどの)サインプレーは使わないほうがいいのか、山本(昌邦)さんに確認したんですよね。そうしたら、別に隠すことないから、やれるチャンスがあるならやれよ、みたいな感じで。あのFKが、試合に入って一発目(のセットプレー)だったと思います」

 以下は、選手の背中を押した山本の述懐である。

「セットプレーのパターンは山のように持っていたので、隠すという考えはなかったですね。あのFKは見事に決まったけど、それで対策してくるなら、次の手がある。そんなことは大した問題ではないと思っていました」

 危うさを垣間見せながら、またしても完勝で終えた試合を振り返り、山本が続ける。

「経験がないと、(先制されて)気持ちがガクッとなりやすいと思うけど、全然下を向くことはなかったし、慌てることもなく、そこからまたギアを上げる感じだった。そこは、名波とか、上の(世代の)選手たちがうまくバランスとっていたと思います。

 若い選手が多く、同じメンバーでやり込んでいたわけではないので、判断ミスやコミュニケーションミスは起きる。でもそれは、試合を重ねるなかで徐々によくなっていったし、むしろ、そこに伸びしろがあったんじゃないかと思います」

 名波の言葉を借りれば、当時の日本代表は「完成されている感じではなかった」。だが、そんな未完成な部分を「補って余りあるだけの攻撃力があった」。

 日本は初優勝した1992年大会以来、2大会ぶり2度目となるベスト4進出を果たした。

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