高校、大学までは無名だったのに...。プロになって大成した選手ベスト5 (2ページ目)

photo by Etsuo Hara/Getty Imagesphoto by Etsuo Hara/Getty Images第4位:森保 一

text by Nakayama Atsushi

 一般的にはまったく無名の選手がのちに大成した例として、その草分け的存在と言えるのが、現在日本代表監督を務める森保一だろう。

 森保の名がサッカーファンに知られるきっかけとなったのは1992年、初の外国人監督として日本代表を率いたハンス・オフトが、JSLのマツダ(サンフレッチェ広島の前身)時代の教え子でもあった森保を最初の招集リストに加えたことだった。

「モリホって誰?」――多くのファンがそうであったように、オフトジャパンのコーチを務めた清雲栄純も、のちに森保の存在を知らなかったことを告白したほどの無名選手だった。サッカー情報が日常にあふれる現代においては、考えられないようなエピソードである。

 はたして、1992年5月のキリンカップで代表スタメンデビューした森保は、同年11月、日本代表のアジアカップ初優勝にレギュラーとして貢献。当時の守備的MFに求められたプレーを体現したことで、森保のポジションを表現する"ワイパー"という新たなサッカー用語とともに、その名を日本全国に知らしめた。

 翌1993年に幕を開けたJリーグでも、当然ながらサンフレッチェ広島のキーマンとして脚光を浴びている。

 その後、"ドーハの悲劇"を経験した森保は、ファルカン監督時代、加茂周監督時代にわたって、1996年まで代表でプレーし、トータル35キャップを記録した。

 長崎日大高卒業後、当初マツダの子会社に勤務しながら、サテライトチームのマツダSC東洋でキャリアをスタートさせた無名の男が、やがて日本代表の常連となり、さらには現役引退後、日本代表を率いるまでに大出世したことは、まさに異次元のサクセスストーリーと言っても過言ではない。

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