高校、大学までは無名だったのに...。
プロになって大成した選手ベスト5
「大物」と騒がれながら、消えていったJリーガーがたくさんいる一方で、プロ入りするまで無名だった選手が大成する例も少なくない。今回は、そういった選手の代表格は誰なのか、識者にアンケートを実施してみた。結果は以下のとおりとなった――。
photo by AFLO第4位:福西崇史
text by Sugiyama Shigeki
1995年、高卒でジュビロ磐田に入団した福西崇史は、翌シーズンにはもうスタメンに定着していた。藤田俊哉、名波浩、中山雅史、ドゥンガ、ファネンブルグ等、そうそうたるメンバーが並ぶそのなかで、異彩を放つ存在だった。
その時、20歳。年代別カテゴリーの日本代表に選出された経歴があったわけではない。
出身高校は新居浜工業高。愛媛県の高校といえば、その頃、南宇和が全国的に知られていて、1989年度の全国高校サッカー選手権で優勝を遂げていたが、愛媛県全体はサッカー先進県とは言えなかった。磐田のスカウトが南宇和の選手を視察に行った試合で、対戦相手の選手としてピッチに立っていた福西に、偶然目が止まったという話だ。
磐田にはFWとして入団したが、当時磐田の監督を務めていたハンス・オフトの発案で守備的MFにコンバートされた。ブランド力の低い選手がひとり混じっている感じだった。
しかし2、3年後には、チームの"顔"になっていた。歌舞伎役者然とした長身のイケメンだったこともあるが、傍らで構えるドゥンガにボランチ学を教え込まれたことも大きかった。
1999年、日本代表に初選出。2002年日韓共催W杯では途中交代による1試合出場に終わったが、それから2006年ドイツW杯までの4年間は、日本代表の主力として活躍した。代表史に大きな影響を与えた選手として認知されている。
慧眼のスカウトや指導者がいなければ、誕生していなかった選手。サッカーの特殊性や奥深さを語る時、福西は外せない選手と言えるだろう。
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