高校、大学までは無名だったのに...。プロになって大成した選手ベスト5 (5ページ目)
photo by AFLO第1位:中澤佑二
text by Harayama Yuhei
プロの夢を諦めきれず、無名の高校から単身ブラジルに渡り、帰国後、ヴェルディ川崎(現東京V)の練習生となり、翌年にプロ契約を勝ち取った。その年にレギュラーの座をつかむと、新人王を獲得。そのまま日本代表に駆け上がり、日本を代表するセンターバックにまで上り詰めた。
その経歴をなぞるだけでも、1本の映画を作れそうなほどである。シンデレラストーリーを地でいった中澤こそが、日本サッカー史における最大の"成り上がり者"だろう。
代名詞である"ボンバーヘッド"は、Jリーグだけでなく、世界を相手にしても十分に通じる代物で、2010年南アフリカW杯の躍進は、田中マルクス闘莉王と中澤の、2センターバックの奮闘なくしてあり得なかった。
Jリーグでも横浜F・マリノスの守備の要として、2003年、2004年の連覇に貢献。2004年にはDFでありながら、MVPを獲得している。
圧倒的な高さと強さに特長がある中澤だが、最大の武器はハングリーさとストイックさだろう。V川崎時代、練習中に三浦知良を激しく削りにいき、本気で激怒されたエピソードは有名だが、自身が這い上がるためには、なりふり構ってはいられなかったのである。スター選手にも遠慮しないメンタルの強さこそが、中澤を一流へと導いた要因だろう。
一方で、長くトップシーンで活躍できたのは、一切の妥協を許さないストイックさがあったからに他ならない。とりわけ晩年には体のケアに時間をかけ、油モノを口にしないなど、食事にも細心の注意を払っていた。
代表キャップ数110試合は歴代7位。J1通算出場593試合は歴代3位に位置する。エリート街道を歩んできたわけではないからこそ、中澤には、底を知る者だけが持つ芯の強さがあった。
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