なぜ五輪代表に森保一監督なのか。技術委員長はコンセプトを語るべき (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki photo by AFLO

 しかし、期待は裏切られた。その手続きがなされぬままに「森保監督」が発表された。不透明さに拍車がかかった状態。これが現在の姿だ。

 森保監督はザッケローニ的でも、アギーレ的でもない。いわゆる従来路線の監督ではない。ハリルホジッチ的でもない。そのスタイルには明確な"色"がある。

 広島の監督に就任したのは2012年。監督業もそこがスタートになるが、以降6シーズン半、ほぼ一貫して採用したのが3-4-2-1という3バックだった。

 相手ボール時には最終ラインが5人になりやすい守備的な3バック。マイボール時には4バックに変化するいわゆる可変式だ。守備的MFの1人が最終ラインまで下がる一方、3枚のセンターバックの両サイドは4バックになると両サイドバック役をこなすので、マイボールに転じると、その3-4-2-1は、4-3-2-1と4-1-4-1の中間的な布陣に変化した。

 しかし、4バックに変化しても、両サイドバックは本職ではないので、一般的な4バックのサイドバックより、構える位置は低い。

 サイドバックが構える高さは、攻撃的サッカー度を推し量る重要なバロメーターと言われるが、それに従えば、その森保式3バックは攻撃的な布陣とは言えない。実際、そのサッカーはサイド攻撃に深みを欠いていた。サイドはウイングバック1人に頼る浅くて連続性に欠けるものだった。

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