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澤穂希の軌跡(1)
阪口夢穂とだからこそできた、「驚きのダブルボランチ」 (2ページ目)

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

 今のなでしこジャパンの礎(いしずえ)となるスタイルを作るために、澤と阪口は練習中に疑問が生じれば何度でも足を止めて言葉を交わした。その年の北京オリンピックでは、これまで負け続けていたチームが、初めて大舞台で勝利を重ねた。この大会は、ふたりのボランチに確固たる自信を芽生えさせるきっかけになった。

 そして2011年にワールドカップドイツ大会で掴んだ世界一。澤はボランチでありながら得点王にも輝いた。そこに相棒である阪口の存在は欠かせない。

「みーちゃん(阪口)でなければ、私は生かされてない。彼女が一番私のことを理解してくれてると思ってる」――当時の澤が背中を預けられるほど、そして阪口は自身を抑えてでも澤を生かすほど、互いを認め合っていた。

 ふたりは意外にも昨年のカナダワールドカップではボランチを組んでいない。大会直前の5月に行なわれたイタリアとの親善試合が、最後になるとは想像もしていなかった。

 澤のラストマッチとなる皇后杯で対戦すること、それはふたりで交わした約束だった。しかし、準決勝で阪口の所属する日テレ・ベレーザが敗れたため、その思いは叶わなかった。

「ホマレちゃんとやりたかったな、最後の試合。もうできへんのかと思ったらつらい......」と澤への思いを語った阪口。このふたりだからこそ生まれた"不動のボランチ"。もうその姿を見ることはできないが、これまで残してきた足跡と記憶が色褪せることはないだろう。
(つづく)


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