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アジアで勝てない。
サッカー育成年代の指導者に「今、足りないもの」 (2ページ目)

  • photo by Nakanishi Yusuke/AFLO SPORT

 もちろん、サッカーの本質をしっかりと理解するのが大前提だが、右向け右で、全員が同じ紋切り型の指導をする必要なんてない。考えに考え抜いて何かを追求していけば、日本にそれだけ多様なクラブができるし、それだけ多様な選手が生まれてくる。

 その際、大事なことは、「何かを追求すれば、失う何かがある」という自覚を持つこと。マイ・フェイバリットを研ぎ澄まそうとすれば、それとは異なる才能の持ち主を潰してしまう可能性がある――。それを肝に銘じて指導するのと、無自覚なのとでは大きく違う。もし自覚していれば、追求するものとは真逆の才能を持つ選手を、異分子として意図的にチームに組み込むという発想も生まれてくる。

 たとえば、バルセロナのカンテラ(下部組織)は、一貫してポゼッションに関する方法論や技術、出し手と受け手の意識を選手に植えつける。何年にもわたって徹底するからシャビ、イニエスタ、ブスケッツといった、バルサスタイルへの戦術理解度が高く、トップ・オブ・トップの技術を備えた選手たちが次々と育ってくる。

 ただし、何かを徹底することで、特定のスペシャリストを輩出することはできるが、そのぶん失っている何かもある。つまり、バルセロナはシャビのような選手が育ってきても、ゴールを量産する個性的なアタッカーを育てることは難しい。

 そのことはバルセロナもよく分かっているから、トップチームはネイマールやスアレス、過去にはイブラヒモビッチやロナウジーニョ、アンリら、超一流のアタッカーを他クラブから引っ張ってきて補っている。14歳でバルセロナに入ったメッシも、アルゼンチン生まれであることを考えると、外から連れてきた選手と言えるだろう。

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