アジアで勝てない。サッカー育成年代の指導者に「今、足りないもの」 (4ページ目)

  • photo by Nakanishi Yusuke/AFLO SPORT

 一方、Jクラブユースの選手たちはその世代のエリートだ。少数精鋭で、少なくとも3年間はチームにいることができ、ふるいにかけられることはない。うまいチームメイトとともにひたすら技術を磨く。

 そして、代表チームを編成する際、ただうまい選手だけを集めても勝てるわけではない。「技術のある選手」「メンタルの強い選手」「出られなくてもチームのために働ける選手」というように、選考で選手の特徴を見きわめてバランスを取ることも、監督の重要な仕事となる。

 たとえば、私はU-16日本代表を率いていたとき、柿谷曜一朗や齋藤学、山田直輝といった足もとの技術が抜群に長けている選手たちの中に、頑張れて、走れて、メンタルが強い水沼を加え、彼にキャプテンマークを託した。そのことでチーム内のバランスを取ると同時に、「戦う気持ちが重要だ」というメッセージを送った。

 さらに、代表監督は、それがA代表であれ、アンダーの年代別代表であれ、さまざまな育成環境で育ち、いろいろなバックボーンを持つ選手たちと短い時間でコミュニケーションが取れなくてはいけない。

 U-20W杯に4大会続けて出られていない現状は、日本の指導者にとって、自分たちの指導がこれで十分なのかどうかを見つめ直す絶好の機会だ。もちろん、十分ではないから、日本は「10秒フラット」で足踏みしていることを――自戒も込めて――認識する必要がある。

 日本人指導者の成長なくして、日本が強くなることはない。指導者一人ひとりが「9秒台」を目指し、壁を突き破る努力をしなければならない。

飯尾篤史●構成

■プロフィール
城福 浩(じょうふく ひろし)
1961年3月21日徳島県生まれ。
大学卒業後、川崎フロンターレの前身である富士通で活躍。現役引退後、1996年には富士通川崎フットボールクラブ監督に就任。その後99年から08年まで、JFAでナショナルトレセンコーチ、U-14日本選抜、U-15からU-17までの代表監督を歴任。
FC東京の育成、強化も担当し、08年から10年まで監督。12年から14年は甲府の監督を務めた。現在は解説者として各メディアで活躍


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