アジアで勝てない。サッカー育成年代の指導者に「今、足りないもの」 (3ページ目)
では、何かに特化するのではなく、パスも、ドリブルも、空中戦もと、何から何までまんべんなく、バランスよく教えたらどうなるか。おそらく、判で押したように平凡で、なんの武器も持たない選手しか生まれてこないだろう。それだけ育成というのは、難しいものなのだ。
そうした難しさを意識して指導を続け、日本全国いたるところで多様な選手が生まれてきたら、今度は代表監督の出番だ。代表監督は、それがA代表であれ、ユース年代であれ、「自分たちの戦いを追求して戦いました。でも、負けました」では許されない。
勝負の世界は、相手との関係がつきものだ。100メートル「9秒台」の世界の強豪と戦う場合、「10秒フラット」の日本とほぼ同じレベルの国と戦う場合、「13秒」の格下と戦う場合では戦い方が変わるのは当然で、システム、戦術、選手選考の目が問われるわけだ。
たとえば、Jクラブユースの選手は技術的にボールの扱いがうまいが、メンタルが弱く、走れないという意見がある。もちろん、Jクラブユース出身の選手にも、かつて私が指導した水沼宏太(サガン鳥栖)のように闘争心にあふれ、90分間走りきる選手もいるが、相対的に見れば、高体連(高等学校体育連盟)の選手のほうが頑張れる、走れる傾向が強いと私も思う。
技術に秀でたJクラブユースの選手を上回るために、高体連の選手は走り勝つことを意識する。そういったJクラブユースに行けなかったという「リバウンドメンタリティ」がいい方向に作用する面もあるかもしれない。さらに、高校では100人近くの部員の中で勝ち抜いてポジションを取る必要もある。
3 / 4