豊田陽平、W杯日本代表入りにかけた半年間を振り返る (4ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO

「(ガンバの)GKの東口(順昭)には『雨も降ってスリッピーなグラウンドで、よくあの体勢で強いヘディングを打てましたね!?』と呆れられました。でも、自信はありましたね。“絶対に入る”というこのゴール感覚は失いたくないです。そのためにも、練習から丁寧に丁寧にやっていかないといけない。気を張っているだけではいけないんですが、そこはこれまで苦労してやってきた経験もあるから」

 豊田はかつて、北京五輪で日本の唯一のゴールを記録し、脚光を浴びた。同世代には欧州で成功を収めている本田圭佑、長友佑都、岡崎慎司らがおり、彼も大きく飛躍するはずだった。しかし五輪後は移籍したJ1京都サンガで不遇を囲い、その後で期限付き移籍したJ2鳥栖でも、当初は苦渋をなめた。それは冷たい雨に打たれ、烈風に身を捩(よじ)る思いだった。

「4年前の2010年W杯は、J2の鳥栖に移籍した年でした。ライバルたちの活躍が悔しくなかったと言えば、嘘になります。自分は“結果を残さないと後がない”という状況でしたから」

 豊田は回顧する。それが、ブラジルW杯代表メンバー23人入りを争う位置まで来ていた。彼はそれを可能にするため、開幕前にノルマを課したのだった。

「W杯代表メンバーに入るのに、なにをすればいいか分からなくて。でも、自分はFWだから。メンバー発表の前節(第13節)までに、二桁得点をとることに決めました」

 彼は意を決し、高い目標に向かい邁進していた。
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