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U-21手倉森ジャパン初陣。原動力は選手に芽生えた強烈な野心 (3ページ目)

  • 飯尾篤史●文 text by Iio Atsushi photo by Getty Images

 とはいえ、ここまで練習試合を含めて4試合を戦い、いくつかの課題が修正され始めているのもたしかだ。初戦では原川、浅野拓磨(広島)、中島の個の力で3ゴールを叩き込んだが、イランに押し込まれる時間が長く、「ディフェンスラインが深くなり過ぎていた」と、DFの西野は反省しきり。それが2戦目から改善され、3戦目では高い守備ラインを保てる時間が長くなった。

 また、鈴木や浅野らスピードのある2トップを生かすため、初戦は裏に蹴り込む単調な攻撃が多かった。しかし、4-3-3に変えたことの効用か、オーストラリア戦ではボールを押し込む、いなす場面が明らかに増えてきた。「コンビネーションは良くなってきているし、勝ち進めば、コンディションももっと良くなっていくと思う」と、矢島は手応えを口にした。

 このチームを語る際、何度も触れられるのは、「U-20W杯を逃した世代」ということだ。

 1993年生まれの選手たちが年長者として臨んだ2012年U-19アジア選手権はベスト8でイラクに敗れ、翌年のU-20W杯に出場できなかった。手倉森監督もよく、「U-19での悔しい思いが、このチームに一体感を生んでいる」と話している。

 だが、選手たちと話していて感じられるのは、そうした過去へのリベンジの気持ちよりも、むしろ未来に向けられた高い意識だ。

 1993年、1994年生まれの23名で構成されている現チームで、U-19アジア選手権を経験したのは8人。一方、2011年のU-17W杯で旋風を巻き起こし、ベスト8に進出した1994年生まれの選手たちは7人いる。

 そのひとりである中島は、「(U-19で負けたことは)別に関係ないんじゃないですか。自分たちの代はU-17W杯に出場している。そこでブラジルに負けた印象のほうが強い」と語り、さらに、「今年、ワールドカップがある。サッカー選手である以上、そこを意識している」「この大会は多くの人が見ていると思うので、人生を変えるつもりで臨んでいる」と意気込む。

 同じく、U-17W杯に出場した石毛秀樹(清水)は、すでに3ゴールを奪った中島に対し、「翔哉にはすごく刺激を受けている。タイプは違うけど、負けられない」と語り、U-17W杯には出場していないが、同じ1994年生まれの浅野は、「五輪代表の立ち上げに呼んでもらえたのは光栄だけど、あくまでも通過点。A代表になってワールドカップに出るのが目標」と言う。

 2年後の2016年に行なわれるU-22アジア選手権が、リオ五輪の最終予選となり、その約半年後にオリンピックが開幕する。だが、すでにその先を見据えている彼らのギラギラとした野心が、立ち上げまもない今のチームを駆り立てている。

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