検索

【WBC】「世紀の誤審」「韓国との因縁」「キューバとの決勝」 渡辺俊介が明かす世界一までの知られざる物語 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Hiroshi Suido

── 渡辺さんはプロ3年目の2003年に9勝、04年に12勝、05年に15勝の成績を残されました。

渡辺 選手選考が始まった、まだ最初の段階で、しかも王監督からそんなことを言ってもらえて、体温が一気に上がったような感覚でした。しかも、『先発は上原浩治(当時・巨人)と松坂大輔(当時・西武)、渡辺くんの3人で考えている』と言われて......。『そのなかにオレが入っているのか。すげぇな』って(笑)。僕はホークス戦の相性がよく、王監督に好印象を与えたのかもしれないですね。

── 当時「地上3センチ、世界一低いアンダースロー」と称されていました。

渡辺 ただ2004年の日米野球では、デビッド・オルティーズ(当時・レッドソックス)とカール・クロフォード(当時・レイズ)のふたりに、初見でいきなりホームランを打たれました。当初は通用するだろうと思っていたのですが、一流打者は何球か見ただけですぐに対応してくる。投球フォームで惑わすことはできないし、投げミスも許されないと痛感しました。

【因縁の韓国戦に2度先発】

── 第1ラウンドは東京で(2対3)、第2ラウンドはアメリカに乗り込み(1対2)、いずれも韓国と対戦しました。渡辺さんは2試合ともに先発されています。

渡辺 2006年のWBCは、韓国戦の2試合と決勝のキューバ戦の計3試合に登板しました。じつは、韓国にはアンダースローの投手が多くいます。韓国打者の映像を見ていると、アンダースローへの対応は非常に参考になりました。ただその一方で、「彼らもアンダースローには慣れているはずだ」とも感じていました。だから、特別な苦手意識や初見で打ちづらいという感覚はないだろうなと思っていました。

── 韓国戦ですが、第1ラウンドでは4回2/3を投げて1失点、第2ラウンドは6回無失点と、王監督の期待に応える好投でした。

渡辺 でも勝ちにつながらなかったのが悔しくて、いい状態で抑えていて、まだ余力がありながらも"球数制限"で交代しなければならず、モヤモヤした気持ちだったことは覚えています。

2 / 5

キーワード

このページのトップに戻る