【プロ野球】初芝清が会社を説得してまでロッテに進んだわけ 「なんとしてもプロに行かなくてはならない」 (3ページ目)
【内角打ちをマスターして一流の仲間入り】
── 入団1年目、有藤通世監督に内角球のさばき方を相当指導されたそうですね。
初芝 当時の社会人野球は、金属バットを使用していたので、変化球全盛の時代でした。しかしプロはストレートが多く、しかもパ・リーグは力のある投手が揃っていました。有藤さんから「内角球をさばけないとプロで生きていけないぞ」と言われ、公式戦の試合中でも打席が回ってこないイニングは、川崎球場に隣接する室内練習場で内角の球をひたすら打ち込んでいました。
── プロ2年目の1990年、120試合に出場して113安打を放ち、打率.265、18本塁打、67打点と飛躍しました。
初芝 さらにプロ6年目の1994年、中西太コーチの指導により、内角打ちの技術は格段と上がりました。中西さんにトスを上げてもらい、「外角、外角、内角」と打つのです。外角を意識しておいて、内角に来たら体で反応する。その指導法が、私にはハマりました。
── 1994年は打率.290を残しました。
初芝 その年、オールスターにも初選出され出場しました。当時は西武の黄金時代で、パ・リーグのベンチには石毛宏典さん、辻発彦さん、清原和博らがいて、その佇まいや雰囲気を肌で感じ、私のプロ野球選手としての意識も変わっていきました。
── 一流選手の仲間入りというわけですね。
初芝 当時はすごい選手ばかりで......。オールスターで覚えているのは、1996年に富山で開催された時、イチローと中村紀洋と食事をするので歩いていたら、向こうから落合博満さんたちの一団が歩いてきました。東芝府中、ロッテの後輩として声をかけてくれたのですが、その時のオーラは半端なかったですね。
【最終打席での一発で打点王&3割超え】
── 1995年は最終打席で本塁打を放ち、イチロー選手、田中幸雄選手と並び、打点王を獲得しました。
初芝 残り1試合の時点で、私が79打点、田中が79打点(残り3試合)、イチローが78打点(残り3試合)という状況でした。最終戦では、最初の3打席は凡退し、打率は.2997まで下がっていました。迎えた最後の打席で、これ以上ない集中力で臨み、西武の豊田清投手が投じた外角寄りのストレートを本塁打。これで80打点とし、一時は単独トップに立ちました。しかし最終的には3人とも80打点となり、タイトルを分け合う結果になりました。打率も、結果的に現役生活で唯一の3割超えとなりました。
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