【プロ野球】初芝清が会社を説得してまでロッテに進んだわけ 「なんとしてもプロに行かなくてはならない」 (2ページ目)
【会社を説得して念願のプロ入り】
── 高校卒業後は社会人の東芝府中でプレーしますが、選んだ理由は?
初芝 母子家庭でしたし、スカウトの方もよく視察に来られていたこともあって、希望は「プロ一本」でした。しかし、蓋を開けてみれば指名漏れ......。西武が指名するという噂もあったのですが、西武は1位・大久保博元、2位・田辺徳雄、3位・高山郁夫さんの3人で指名終了。進路で困っていたら、高校の先輩である仲村恒一さんが東芝府中にいて、入社枠をつくってくれました。
── プロを現実のものとして意識し始めたのはいつですか?
初芝 同じ職場の先輩から"出世払い"ということで借金をしてお腹を満たしていたので、"プロ解禁"になる3年目に「なんとしてもプロに行かなくてはならない」と思っていました(笑)。結局、3年目は成績がよくなかったので会社に残りましたが、4年目にドラフトで指名され、晴れてプロ入り。契約金で借金に色をつけて返済することができました。金額ですか? さすがに3ケタはいってないです(笑)。
── 社会人時代、プリンスホテルやNTT東京の補強選手として、都市対抗に3度出場しています。
初芝 プリンスホテルの中島輝士さん(1988年日本ハムドラフト1位)や小川博文(1988年オリックスドラフト2位)は、同じ右打者のドラフト候補として、プロ入りの"物差し"になりました。
── プロ入りに関して、当初は「関東」「ロッテ以外」「ドラフト3位以内」の条件があったそうですね。
初芝 指名された瞬間、ふつう周囲は「やったぞ!」となりますが、シーンと静まり返っていました。自分が4番を打っていたこともあって、会社としては「抜ければチームの戦力が落ちて困る」という事情もありました。東芝府中に限らず、会社側がプロ入りに難色を示す時代でもありました。
── どうやって会社側を説得したのですか?
初芝 当時監督だった藤田明彦さんに「プロに行って活躍して、東芝府中の名前を広めたいんです」と浪速節系の説得を試みると、「そうか、おまえがそこまで言うんだったら......」と認めてもらいました。
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