【長嶋茂雄が見たかった。】日本中が泣いた長嶋茂雄の引退試合「この世界から野球というものがなくなっちゃうんじゃないか」 (4ページ目)
長嶋の引退試合が自身の現役最後の試合にもなった黒江透修さん
長嶋の引退試合が現役最後の試合になった選手がいた。V9時代を支えた黒江透修(くろえ・ゆきのぶ)だ。黒江はその日をこう振り返る。
「僕はプロ野球で1000試合以上に出場したけど、あんな雰囲気の試合はなかった。長嶋さんという、本当に素晴らしい選手と野球ができてよかったなとあらためて思った。
ダブルヘッダーの1試合目、ショートは(僕ではなく)河埜和正が守った。そして、1試合目が終わって、ベンチで2試合目のことを考えていると、突然、スタンドが騒がしくなったんだよね。長嶋さんがグラウンドに出て、(観客に挨拶をしながら)場内を一周しはじめて、球場の空気がすごく変わった。選手もみんな驚いたよ」
黒江は2試合目に六番ショートでスタメン出場。2打席目にレフト前ヒットを放ったが、最後の打席はセカンドゴロで打ち取られた。黒江は1135試合に出場し、923安打(通算打率.265)、57本塁打という成績を残し、長嶋とともにユニフォームを脱いだ。
「長嶋さんの引退セレモニーはグラウンドで見ていた。その時にあったのは、長嶋さんのようなすごい選手と11年も一緒に野球ができたことに対する感謝の気持ちだけだったね。ミスターの涙を見たのはあの日が初めてだった。
巨人で長嶋さんと一緒に戦って、いろいろなことを勉強できた。ミスターのプレーはもちろん、心構えや見えないところでの練習、グラウンドの外でも会話などは財産だよ。何を聞いても丁寧に答えてくれたし、『クロ、クロ』と話しかけてくれた。先輩だけど、少しもえらそうなそぶりは見せなかった」
リーグ9連覇も9年連続日本一も、今後達成される可能性のない偉業だ。チームの核となる長嶋と王貞治がいて、ほかの選手がそのふたりのために力を尽くすという形があった。
「ほかの選手では長嶋茂雄にはなれない。もちろん、王にも。あのふたりと競り合ってやろうという気はまったくなかった。一緒に野球をやれたらいいという気持ちだけ。真似したり、競り合おうとしたら、こっちがおかしくなっちゃうから。
あの人たちは別なんだという気持ちでいるほうが楽だし、相手を立てることで長嶋さんや王が何か感じてくれることがあるんじゃないかと思った。あの頃、巨人がいざという時に力を合わせることができたのは、中心に長嶋さんと王がいたから。だから、強かったんだと思う」
V9時代の巨人の強さの源は何だったのか。
「ほかのチームとは、モノの考え方が違ったんだろうね。練習の仕方について、長嶋さんも意見を言ったし、王もそう。あのふたりの考えをほかの選手が聞くことでチームもまとまったし、強くなった。ものすごくいい勉強になったし、あれがなければV9はできなかっただろうな。巨人はみんなで一丸となって戦っていたから。
引退して50年が経っても、長嶋さんといういい先輩と野球ができて本当によかった。今振り返ると、いいメンバーと野球ができたなと思うよ」
著者プロフィール
元永知宏 (もとなが・ともひろ)
1968年、愛媛県生まれ。 立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)など多数。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長
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