検索

【長嶋茂雄が見たかった。】日本中が泣いた長嶋茂雄の引退試合「この世界から野球というものがなくなっちゃうんじゃないか」 (3ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

【長嶋のアクションで観客の感情が動く】

 1974(昭和49)年1014日、巨人の本拠地である後楽園球場で行なわれた中日とのダブルヘッダーが長嶋の引退試合となった。「我が巨人軍は永久に不滅です」というあの伝説的なスピーチが行なわれた日だ。2試合目のゲームセットの瞬間、マウンドにいたのは巨人の横山忠夫だった。横山はこう振り返る。

その時には、もう中日の優勝が決まっていた(※巨人は2位)。俺が長嶋さんの(立教)大学の後輩だということを川上哲治監督が考慮してくれたのかどうかはわからないけど、二軍にいた俺を一軍に呼んでくれたんだよ。2試合目は10対0で勝っていて、8回、9回のマウンドを任された」

 長嶋にとって最後の試合。大差ということもあって、観客は勝敗に関する興味を失っていた。

正直、投げにくかったよ。長嶋さんがこの試合で終わりということで、球場の雰囲気はそれまでにないものだった。試合後の引退セレモニーをみんなが待っている感じだったから、フォアボールは出せないし、ヒットも打たれたくない。

 みんなが『早く終わらせてくれ』と思っているというのがわかるから、どんどんストライクを取って、少しでも早く終わらせたいという一心だったね。中日のバッターが早打ちしてくれたのかわからないけど、3人ずつで終わることができて本当にほっとしたことを覚えているよ」

 あの球場の雰囲気を横山は今でも覚えている。

「もう異常だったよ。『ナガシマー!』って叫ぶ人、号泣している人がいて。長嶋さんが何かのアクションをするたびに、いろいろな人の感情が動くのがよくわかった。

 その引退試合の写真が残っているけど、スコアボードに横山という名前があるのは名誉なことだよね。監督だった川上さんにも、長嶋さんにも感謝している」

3 / 4

キーワード

このページのトップに戻る