【プロ野球】中田翔は栗山英樹と出会えていなかったら「とっくに野球を辞めていた」18歳の大谷翔平に驚かされたことも語った (3ページ目)
【心の支えにしていた栗山英樹の言葉】
――2012年には、日本ハムの指揮官に栗山英樹監督が就任。中田さんは新チームの4番を任されることになりました。そこから合計10シーズン、栗山監督のもとでプレーしましたが、栗山監督はどのような存在ですか?
「栗山監督から『4番は翔でいく』と言っていただいて、もちろん不安もありましたけど、それと同じくらい『絶対にやってやろう!』という強い気持ちで開幕を迎えました。
父親のようでもあり、僕に変化のきっかけを与えてくださった、僕の野球人生において欠かすことのできない方です。どんなに言葉を尽くしても感謝の気持ちを伝えきれないくらいにお世話になりました。もし、仮に栗山監督と出会えていなかったら、僕はとっくに野球を辞めていたと思います」
――中田さんが感じた栗山監督のすごさとは?
「栗山さんは、選手の意見を頭ごなしに否定することが一切なくて、常に選手の悩みに寄り添い、一緒に考えてくれる方でした。試合でも、チームが負けた時には『俺のせいだ』と言って、いつも選手をかばってくれた。特定の選手にファンの不満の矛先が向かないように徹してくれたことをよく覚えています。なかなかできることではないですよね」
――2012年シーズン、日本ハムはパ・リーグを制したものの、日本シリーズでは巨人に2勝4敗で敗れました。中田さんは第2戦に受けた死球で左手を骨折しながらも出場を続けましたが、栗山監督から声をかけられましたか?
「その日本シリーズに限ったことではないですが、打撃などの細かいアドバイスはもちろん、常に『俺は常に味方だから』『いつも信じている』といった前向きな言葉をかけていただきました。それを心の支えにしていましたね」
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