【プロ野球】中田翔は栗山英樹と出会えていなかったら「とっくに野球を辞めていた」18歳の大谷翔平に驚かされたことも語った (2ページ目)
【ぶち当たった鉄壁の外野陣の壁】
――中田さんは大阪桐蔭で通算87本塁打を放ち、2007年のドラフトで4球団競合の末に日本ハムに入団しました。ただ、プロ入り当初は出場機会に恵まれない時期もありましたね。
「大きな期待を背負ってチームに入ったはずなのに、プロでは全然通用しませんでしたね。特に1年目は、一度も1軍に上がれずにシーズンを終えることになってしまい、挫折や敗北感を味わったり、悩んだりすることもありました」
――それでも2年目から、徐々に1軍での出場を増やしていきます。どのように野球と向き合い、実力を高めていったのでしょうか。
「若いうちはとにかく練習をやるしかない状況でしたから、技術うんぬんよりも、1回でも多くバットを振り込むことを意識していました。そして、『とにかくいろいろなことにチャレンジしよう』という思いで過ごしていましたね。
当時の1軍には鉄壁の外野陣が揃っていました(森本稀哲、稲葉篤紀、糸井嘉男など)から、僕が2軍でそこそこ打ったところで、スタメンで1軍の試合に出られることは少なかった。なので、代打の1打席など、『数少ないチャンスを活かさないと』という思いで、野球と向き合っていました。
あらためて振り返ると、若い頃に2軍で過ごした日々がなければ、今の自分はないと思っています。つきっきりで教えていただいた監督やコーチのみなさんへの感謝も、忘れることはありませんでした」
――3年目の2010年には、65試合に出場して9本塁打と飛躍のきっかけをつかみます。そして4年目の2011年にはレギュラーとして起用され、打率.237、18本塁打、91打点を記録。オールスターにも初選出されました。
「1軍の試合に出始めた頃は、とにかく毎日がむしゃらに過ごしていた記憶しかありません。『まだまだ活躍したうちには入らない』と思っていましたが、少しずつ1軍でも本塁打が打てるようになり、オールスターにファン投票で出場させていただいたり、少しずつ自信が芽生えていきました」
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