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「ライオン丸」の異名をとった水上善雄 金田正一から「スポーツをする者が長髪なんて」と叱責されても伸ばし続けた理由 (4ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

【ナンバーワン遊撃手は?】

── 同じ野手として、印象に残っている打者は?

水上 やっぱり落合(博満)さんですよ。次元が違います。今だったら、大谷翔平選手のような存在です。相手チームの打者が、試合前の落合さんの打撃練習を見に来ていました。本塁打だけを狙っていたら、王貞治さんの通算868本に迫っていたでしょうし、安打だけを狙っていたら打率4割に届いたのではないでしょうか。スイングスピードも速くて、ミートした時の破壊音を聞くと気持ちが悪くなるほどでした。

── ほかに印象に残っている打者はいますか。

水上 「左の天才」といえば、巨人の篠塚和典ですね。同い年で、銚子商(千葉)時代からよく知っています。体重は60キロそこそこの細身でしたが、腰をクルッと回転させて、木製バットでライトスタンドへ軽々と放り込んでいました。

 イースタン・リーグではよく対戦しましたが、本当にいやらしいほど巧みな打者でした。流し打ちがうまいので三遊間に寄ると、投手の足元を鋭く抜いてくる。それで二遊間に寄ると、今度は三遊間へ絶妙に流し打つ。守備陣の位置取りを見ながら、自在に狙い打ちしていました。首位打者を2度獲得したのもうなずけます。

── 水上さんが見てきたなかで、一番うまい遊撃手は誰ですか?

水上 ロッテなどで活躍した小坂誠選手です。投手の頭上をゴロで越えるような打球でも、捕ってランニングスローではなく、正面に入って捕球しステップしてから投げるタイプでした。いわば、守備範囲に限界がない選手でした。西武時代の松井稼頭央は抜群の身体能力を生かしてとんでもないプレーを見せる一方で、簡単な打球をファンブルすることもありました。イメージとしては、小坂選手は安定しているベンツで、松井選手はフェラーリという感じですね。魅力はあるけど、故障の心配があるという意味で。

── 最後に、1990年にトレードで広島に移籍されますが、ロッテからは水上さんと高沢さん、広島からは高橋慶彦さん、白武佳久さん、杉本征使さんの複数トレードでした。その時はどんな心境だったのですか。

水上 家族で見ていたテレビのニュースで初めて知りました(笑)。そういう時代だったんですね。

水上善雄(みずかみ・よしお)/1957年8月9日生まれ。神奈川県出身。桐蔭学園高から75年のドラフトでロッテから3位指名を受け入団。79年から正遊撃手となり、80年から4年連続全試合出場を果たす。80年にダイヤモンドグラブ賞、87年にベストナインを受賞。90年に広島、91年にダイエーに移籍し、92年限りで現役を引退。引退後は日本ハム、ソフトバンクでコーチ、二軍監督を歴任。高校野球の指導者も務めた。現在はプロ野球評論家として活躍

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作新学院高校時代から「怪物」と称され、法政大学での活躍、そして世紀のドラフト騒動「空白の一日」を経て巨人入り。つねに野球界の話題の中心にいて、短くも濃密なキャリアを送った江川卓。その圧倒的なピッチングは、彼自身だけでなく、共に戦った仲間や対峙したライバルたちの人生までも変えていった。昭和から令和へと受け継がれる"江川神話"の実像に迫る!

内容

はじめに

第一章 高校・大学・アメリカ留学編 1971〜1978年

伝説のはじまり/遠い聖地/怪物覚醒/甲子園デビュー/魂のエース・佃正樹の生涯/不協和音/最強の控え投手/江川からホームランを打った男/雨中の死闘/江川に勝った男/神宮デビュー/理不尽なしごき/黄金時代到来/有終の美/空白の一日

第二章 プロ野球編 1979〜1987年

証言者:新浦壽夫/髙代延博/掛布雅之/遠藤一彦/豊田誠佑/広岡達朗/中尾孝義/小早川毅彦/中畑清/西本聖/江夏豊

おわりに

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