「ライオン丸」の異名をとった水上善雄 金田正一から「スポーツをする者が長髪なんて」と叱責されても伸ばし続けた理由 (3ページ目)
── もうひとりはどなたですか?
水上 同じロッテの村田兆治さんです。私が高校生だった1974年、ロッテとの日本シリーズで中日の4番のジーン・マーチンがベースよりずっと手前に落ちる球を空振りしたのを見て笑っていました。でもプロ入りしてから村田さんのフォークを見て、「こりゃ振るわ」と。
89年、尊敬する村田さんが山形で通算200勝を達成した試合に立ち会えたことは、今でも強く記憶に残っています。私は三塁を守っていたのですが、「全部、自分のところに打たせてください!」と心の中で叫んでいました。
── そういえばその頃、水上さんは長髪から"ライオン丸"と呼ばれていました。
水上 髪を伸ばし始めたきっかけは、ゲン担ぎでした。89年春のオープン戦で左頬に死球を受け、手術のために1カ月ほど入院したんです。その後、二軍でリハビリをしていたのですが、散髪に行く機会がなく髪が伸びてしまっていて......。ところが復帰してみると調子がよかったので、「これは縁起がいい」と思い、そのまま切らずに伸ばし続けたんです。
当時の私は、体制に反発する"ツッパリ"のようなところがあって、いま振り返ると「みっともないな」と恥ずかしくなる部分もあります。親会社のロッテは食品会社でしたし、金田正一監督からは「スポーツをする者が長髪なんて」と叱られました。でも、村田兆治さんは「絶対に切るなよ」と励ましてくれて......その言葉はいまでも懐かしく思い出します。
── 先程、名前を挙げられた3人は、当時のいわゆるパ・リーグ6大エース(ほかに西武・東尾修、日本ハム・高橋直樹、南海・山内新一)で、速球派だったわけですね。
水上 セ・リーグでは、オープン戦で対戦した巨人の江川卓投手は速かったですよ。打ちにいく時、だいたい「1、2、3」でタイミングが合うのですが、江川さんだけは合わなかった。試しに「1、2」で振ったら、ホームランになっちゃいました(笑)。
── 江川さんのストレートはホップしていたと聞きます。
水上 9番打者の私には手を抜いて投げていました。4番の有藤さんとの対戦では、見るからに力を入れて投げていましたよ。
3 / 4

