【プロ野球】「あの時、大学に行っていたら...」 西武・菅井信也が4年越しに語る育成でプロ入りした理由 (2ページ目)
ひとつの手引きになったのは、のちに西武でともにプレーする先輩投手の存在だった。
「自分が高校に入る時、山本学園出身の粟津(凱士/現・西武打撃投手)さんがドラフトにかかるかもしれないという時期でした。それと社会人や大学で活躍しているピッチャーが出ていて、『志藤監督は育てるのがうまい』と地元の先輩に聞いて選びました」
山本学園に進んで大きかったのは、自分で考えて取り組む環境が整っていたことだ。練習では、足りない点を自身で探し求めるように促された。志藤監督は「これをクリアしたら、次はこれ」とうまく導いてくれた。
高校3年間で球速が20キロ速まり、最速143キロに達したことでスカウトの目にとまったと菅井自身は考えている。
一方、急成長の裏で体づくりに苦労した。
「志藤監督から、『細いから、とりあえず食べろ』と言われました。一気に食べられなかったので、おにぎりとかを授業の終わりの間に食べたりして。頑張って、夜ごはんをいっぱい食べました」
高校3年間で10キロ増量し、ドラフト時には182センチ、75キロに。そうして西武がポテンシャルを見抜き、2021年育成3位で入団した。
【大きかった内海哲也との出会い】
入団1年目に二軍で3試合の出場にとどまったのは、高校3年の夏から左肩を痛めていたことが関係している。
「治るかなと思ったんですけど、プロに入ってからもなかなか治らなくて。で、治ったと思ったら、今度はコロナにかかっちゃって......。うまく投げられない1年間でした」
もどかしい時間だったが、ケガをしたことで自分自身と向き合えた。
「上半身のトレーニングは、高校の時はあまりやってこなかったので。肩甲骨回りの筋力をつけたり、動かし方を覚えたり。トレーナーさんと鍛えながら勉強したので、もし今、状態が悪くなりそうになったとしても、耐えられるかなという知識はつきました」
菅井と話すと落ち着いた印象を受けるが、球団関係者によると、入団当初は自分を表現することがあまり得意ではなかったという。
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