【プロ野球】3度の手術、2度の地獄を越えて 近藤弘樹が「投げられない日々」の先にスタートした第二の野球人生 (2ページ目)
7月20日に戸田球場でリハビリを開始し、8月20日にはキャッチボールを再開。だが、それはまさに手探りのようなキャッチボールだった。9月に入ると、朝8時頃から隣接する陸上競技場で走り込み、その後リハビリメニューに取り組む日々が続いた。
「走り出した頃は、『肩はもう厳しいかな』というのが、心の底のどこかにありました。来年はほぼほぼないと思っていましたけど、動ける時に動いて『これでよくなったりしないかな』という願望もなくはなかったです」
走り終わったあとに「1週間がしんどいです。1日がしんどいです」と語る時の表情は、見ているこちらもつらいものだった。
「あの時はもどかしかったですからね。キャッチボールをしても痛いし、(状態が)上がってこない。もっとやりたいけど、できない。走るのにしても、足も切っているので痛かったです。そのなかで残された日は長くないと考えると、戸田はずっと主戦場だったので、『最後に走っておこう』と、そんな気持ちがずっと続いたという感じでした」
【やっと地獄から解放された】
戦力外通告は二軍のシーズン最終戦後だった。
「妥当だなって。その日のうちに、長いリハビリに付き合ってくれた理学療法士の伊東(優多)さんに『やっとこの地獄から解放されます』という表現であいさつしました。最初の地獄のあとは、上がるのみかなと思っていたんですけどね。地獄がまた来ましたね(苦笑)。まー、長かったです。でも、トレーナーの方たちには本当にお世話になり、感謝しています」
伊東トレーナーは、近藤からの「やっと地獄から解放されました」という言葉を、こう受け止めたという。
「ケガが再発した時は、もっとほかになにかできたんじゃないかと振り返ることはありました。キャッチボールを再開した段階だったので、彼としてはまだやりたい部分はあったと思います。僕自身も主治医の先生と話し合いながら、なんとか復帰までサポートしたかった。ただ、彼のなかで、こういうリハビリの過程をもうたどらなくていいんだという、ホッとした気持ちがあったんじゃないかと。
彼からは『楽天のスカウトになりました』とか、たまに連絡が来るんです。(最初に故障をしてからの)約3年半、お互いが納得することを大事にやってきました。そういう意味では、いい関係性にはなれたのかなと思っています」
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