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【追悼】長嶋茂雄の大学時代を知るふたりの野球人の証言 「ミスタープロ野球」はいかにして生まれたのか? (4ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

 長嶋に無限の可能性を感じたのは、佐々木も同じだった。

「大学時代から、野手ではひとりだけ飛び抜けていましたからね。プロ野球でも当然、活躍するだろうと見ていました。立教の時からそれだけの実力がありました」

 4年の秋、長嶋は大学生として最後の試合となる慶應大との2回戦でホームランを放ち、当時の通算本塁打記録(8本)を塗り替えてプロ野球へと戦いのステージを移した。

「長嶋は自分の世界というか、スタイルを持っていたからね。特にバッティングは見事。いい振りをしていて、とにかくシャープ。打球の鋭さは相当なものでした。相当、バットを振り込まないと、あんな打球は打てない」(佐々木)

 長嶋はプロ1年目の1958年、巨人の背番号3をつけて打率.305、29本塁打、92打点、37盗塁を記録して、"ミスタープロ野球"への道を歩み始めた。

文中敬称略

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著者プロフィール

  • 元永知宏

    元永知宏 (もとなが・ともひろ)

    1968年、愛媛県生まれ。 立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)など多数。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長

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