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【追悼】広岡達朗が語る、長嶋茂雄という「憎めない後輩」との記憶 「オレが頼みごとをすると、いつもあいつは嫌な顔をせず『いいですよ』と言う」 (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 三塁ランナーは長嶋、打席には6番の広岡が入った。カウント2ストライクからの3球目だった。金田がセットポジションから足を上げた瞬間、スタンドにいる観客がワーッと騒ぎ出した。ランナーの長嶋が猛然とホーム目がけて突進し、足からスライディング。土煙のなか、キャッチャーミットと交差する。

「アウト!」

 球審の手が高らかに上がった。

 無謀とも思えるホームスチール。まさかの奇策に、バッターの広岡は逆上した。体中の血が沸騰し、バッティングどころじゃない。そして広岡は次のボールを怒りに任せてフルスイングし、空振り三振。バットを地面に思いきり叩きつけた。

 三振したことが悔しかったわけじゃない。不可解な采配に怒りをぶつけたのだ。2点差での7回ワンアウト三塁。外野フライ、もしくは緩い内野ゴロでも1点入るケースで、ホームスチールなどあり得ない。

「よほどオレのバッティングを信用できないのか......」

【試合中にまさかの帰宅】

 屈辱にまみれた広岡は首脳陣を見向きもせず、そのままロッカーへと直行して帰宅したのだ。試合放棄である。広岡のなかには、監督の川上哲治が長嶋にしかわからないサインを出したとしか思えないという確信があった。

「ふたりだけのサインなんて、そんなのは野球じゃない。怒るのは当たり前だ。長嶋はいいヤツだから、サインどおりにやっただけ。あとでどうなるかなんてことは考えてないから。問題は川上さんよ。オレを嫌うのはいいが、こんな仕打ちをするのかという怒りと苛立ちで、そのまま家に帰ってやったよ」

 この一件以来、広岡と長嶋は険悪な雰囲気となり、仲違いしたというのが通説になっているが、じつは根も葉もない噂である。

 もともとクールな広岡はこの仕打ちでさらに口を閉ざすようになり、チームメイトは近寄りがたくなってしまった。怒りの矛先は監督の川上だったのに、チームメイトは長嶋にも向けられていると勘違いしたのだ。

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