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NPB復帰を目指す倉本寿彦、34歳の今 「挑戦できる環境があること自体、すごく幸せなこと」 (2ページ目)

  • 村瀬秀信●文 text by Murase Hidenobu

 しかしスタッフの人数が限られていて、ひとりが何役もこなすハヤテでは、やるべきことが山ほどある。倉本は積極的に手伝いながら、外から試合を見ることで、あらためて支えてくれる多くの人たちの存在に気づいた。

「もし僕ひとりだったら、気持ち的にへこんで、あちこちぶれていたと思います。実際、復帰してすぐの8月は全然打てなくなって、打率も2割8分まで落ちました。体力的にもメンタル的にも踏ん張らなきゃいけない勝負どころだったんです。

 たぶん、僕が少し弱っているのを察したんでしょうね。隣の部屋に住んでいた山下幸輝(DeNA時代の同期で現在はハヤテのコーチ)が『倉本さん、散歩行きましょう』って、部屋から連れ出してくれて。三保の松原を一緒に歩いて、いろいろ話をしました。『次の試合で1本出れば変わる』って思うようにしたんです」

【選手として今が全盛期】

 事実、その言葉どおりの結果となった。

「8月4日の中日戦、第1打席で柳(裕也)投手からセンター前にヒットを打てた。そこから一気に調子が上がって......ほんとに、たった1本のヒットでメンタルって大きく変わるんですよね。僕には家族がいて、応援してくれる人たちがいて、『もう一度、前を向いて頑張れ!』って、いつも背中を押してくれる。それが心の軸になっているから、もう迷いはないんです。

 NPB復帰は、周りから見ればかなり厳しい状況だと思います。でも、僕自身は乗り越えたいし、挑戦したいんです。たった一歩踏み出すだけで、見える世界が変わる。去年、そう実感できたからこそ、今また挑戦しようと思えるんです」

 これまでの野球人生を振り返っても、何度も崖っぷちに立たされながらも、そこから這い上がってきた。15歳で「死ぬほど憧れた」横浜高校の門をくぐるも、1週間で厳しい練習に心が折れた。逃げ出した倉本を、母親は「やると決めたら最後までやりなさい」と諭した。その言葉は今も心の支えになっている。

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