松永浩美が語る「記録より記憶に残る外国人選手」アニマル・レスリー 雄叫びのイメージも「一番優しかった」 (4ページ目)
――マウンド上での豪快なイメージが強いのですが、普段はどんな方なんですか?
松永 自分が関わった外国人選手のなかでは一番優しかったかな。なかには、あまり日本人と話さない外国人選手もいましたが、彼は積極的にコミュニケーションを取ってきました。ロッカーが私のふたつ横と近かったこともあると思いますが、私には「マツ!マツ!」ってよく声をかけてくれましたよ。同じくロッカーが近かったブーマー・ウェルズや、通訳のチコも交えてよく話していました。
――チームに溶け込もうという意識が強かった?
松永 チームに対してもそうですし、日本の文化に対してもそうでしたね。箸を持つことが得意でしたし、和食の店に「一緒に行きましょう」と誘われたこともありました。プライベートも含めて、私が見た外国人選手のなかでは、一番日本に溶け込もうとしていた選手じゃないかな。
日本語も、片言だけどそこそこ話せましたし、とにかく一生懸命に話すんです。基本的なコミュニケーションをとる上で通訳もほとんど必要なかったですし、あまり外国人選手という感覚がありませんでしたね。
(後編:日本好きだったアニマル・レスリーは、引退後も帰国せずにタレント活動 「やめたあとのほうが充実感はあったみたい」>>)
【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)
1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。
◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」
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