鍵谷陽平が振り返る名門・北海高時代の前代未聞の出来事 「話し合いをしてくれるまで練習には出ません」 (3ページ目)
── それでどうなったのですか?
鍵谷 2、3日ほど平行線のまま話は進まなかったのですが、当時の部長が間に入ってくれて、話し合う機会をつくってもらいました。それで雪解けした感じで、練習メニューを僕たちだけで考える日があったり、冬の間は屋外で練習できないので遠征に行かせてもらったり、だいぶ変わりました。
【甲子園での苦い経験】
── それからチームは強くなった?
鍵谷 そこから強くなって、春も決勝まで行きました。相手は東海大四高(現・東海大札幌)で、伏見寅威(現・日本ハム)を中心にしたチームで一番のライバルでした。その試合で先生は「オレは夏のためにおまえを投げさせたくない」と直接言ってくれました。前までだったら、僕らに言わないで先生だけで決めていたと思います。でも僕とキャプテン、キャッチャー、副キャプテン兼マネージャーが呼ばれて、「おまえたちはどう思っているのか、考えて言いにきてくれ」と。それで話し合って、「夏に勝つためだったら投げない」と決めて、先生に伝えました。
── 春の大会に優勝するよりも、夏に勝つことが大事ですからね。
鍵谷 結局、春は決勝で負けてしまったんですが、夏は優勝して甲子園に出場することができました。
── 勝った瞬間はどんなことを思いましたか?
鍵谷 甲子園に出ることが目標というか、すべてだったので本当にうれしかったですね。それまでの過程も、自分のなかでは初めてと言っていいくらい頑張ったので......心の底からうれしいと思った最初の出来事でした。
── 甲子園は第90回記念大会でした。北海は初戦で愛知の強豪・東邦と対戦し、鍵谷さんは先頭打者の初球にホームランを打たれるなど、10対15で敗れました。
鍵谷 ものすごく暑かったことは覚えているんです。でも、試合のことはまったく覚えていなくて、記憶から消えています。ほんとに嫌な記憶というか、試合の映像は見ていないですし、DVDももらったんですけど......一度も見ていません。
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