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鍵谷陽平が振り返る名門・北海高時代の前代未聞の出来事 「話し合いをしてくれるまで練習には出ません」 (5ページ目)

  • 市川光治(光スタジオ)●取材・文 text by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)

中央大時代の鍵谷陽平氏 photo by Sankei Visual中央大時代の鍵谷陽平氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る── どこの球団が見に来ているというような噂は、耳に入ってくるものですか。

鍵谷 調査書は10球団から来ました。早くから注目してくれたのがオリックスとソフトバンクですね。それも風の便りで聞きました(笑)。

── ドラフト当日は?

鍵谷 大学にあるホールで監督や部員たちと見ていました。「2位までに指名あるよ」って、これも風の便りで聞いていたので、ウキウキして待っていたんですが......気づいたら2位指名は終わっていました。周りからは「外れ1位もあるよ」と言われて、それを鵜呑みにしてしまいました。世の中、そんな甘くなかったです(笑)。

── 当時のドラフト中継は、2位指名まででしたよね。

鍵谷 2位指名が終わると、いったん中断に入り、そのまま1時間くらい待っていました。その間、みんなも持っているわけですよ。それに一般学生も「何やっているんだろう」ってホールに入ってくるし。監督と一緒に、ずっと同じ姿勢で座っていました(笑)。とにかく、ものすごく長い時間でしたね。「もしかしたら指名ないかも」って考えたり......。「どこでもいいから早く指名してくれ」と思っていたら、ファイターズが3巡目の最初で指名してくれて、ホッとしました。

── それは誰から聞いたのですか?

鍵谷 後ろにいた仲間からです。同級生の誰かが「ハム3位!」って声を上げて、そしたら「うお〜!」ってホール中が盛り上がって。

── 地元の球団からの指名でした。

鍵谷 そこはファイターズのすごいところというか、それまでそんな素振りはまったくなかったんです。だから余計にビックリしました。

── 今のドラフトを見ていると、違う部屋で待機して、指名されたら出てきて受け答えするみたいな感じになっていますね。

鍵谷 いやー、めちゃくちゃうらやましいです(笑)。

つづく>>


鍵谷陽平(かぎや・ようへい)/1990年9月23日、北海道亀田郡七飯町出身。北海高から中央大に進み、2012年ドラフト3位で日本ハムに入団。1年目から38試合に登板するなど、おもにリリーフとして活躍。17年にはシーズン60試合に登板した。19年シーズン途中から巨人に移籍。23年オフに戦力外通告を受けるも、古巣である日本ハムと育成契約を交わす。24年7月に支配下になるも一軍登板の機会がなく、9月に現役引退を発表。25年から日本ハムのチームスタッフとして活動する。妻は女優の青谷優衣

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