藤田平が語った江川卓 「あの時代からすでにメジャー流の投げ方をしていた。まさに異次元の投手」 (3ページ目)
いくら科学的なトレーニングを駆使しても、肩のスタミナは投げ込まないとつかない。80年代、主戦投手は春のキャンプ期間中に2500球から3000球の投げ込みが当たり前とされていたが、今は1000球にも満たない投手がほとんどだ。だからと言って練習しないわけではなく、遠投、傾斜を使ったネットスロー、シャドーピッチングなど各自創意工夫のもとやっている。2015年以降、時代は急速に変化し、隔世の感を覚えずにはいられない。
「前にNHKで、オリンピックで金メダルを獲った体操選手のインタビューがあって、筋トレは一切しないと言っていました。体操の吊り輪や鉄棒で回ることで、必要な筋力がついてくると。かつての我々と一緒の考えですよ。野球選手はバットを振ったら筋力がついてくるし、走ったら足腰が強くなる。理に適った筋力がついてくるわけです。そう考えると、筋トレで鍛えた筋肉というのは、いらんものもついてくるんだと思う」
かねてから藤田は、科学的トレーニングが合理的だという考え方に疑問を抱いていた。だから金メダルを獲った体操選手が、自分たちがやっていた方法論を用いていたことに安堵したという。
最後に、あらためて江川卓とはどんなピッチャーだったのか聞いてみた。
「やっぱり怪物。太く短い野球人生も含めてね。現役の時、甲子園で活躍する作新学院の江川の記事を新聞で見て、『なんかすげぇピッチャーがおるな』という感じでした。体つきがほかの投手と全然違った。ただ、あれだけの体を持っていたんだから、もっと長くやってほしかったよね。抜群に恵まれていますもんね。日本人離れというか、ほんとあの体はすごい」
藤田はひと目見て、江川の身体能力が尋常ではないと察知した。だからこそ、江川の現役生活が9年で終わったことを、つくづくもったいないと嘆くのだった。
(文中敬称略)
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
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