西武・武内夏暉は公立校からいかにして新人王投手へと成長したのか 叩き出した驚愕のデータ (2ページ目)
八幡南高・溝上虎芽主将 photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る「昨年、プロに入る前に来ていただいた時に、体が本当に大きく、キャッチボールも球が全然沈まないので、本当にすごいなと思いました。自分たちと同じ高校の卒業生が夢を与えてくれているので、うれしいです」
今はメジャーリーグで活躍する今永昇太(カブス)は、八幡南高からほど近い北筑高の出身。その後、駒大を経て、DeNAで活躍。今年から海を渡り、15勝(3敗)を挙げた。
武内も国学院大で揉まれ、昨年ドラフトでは3球団競合の末、西武に入団した。北九州市内の公立校から、プロの一線級左腕が2人も輩出されたことは、じつに興味深い。
【中学時代は野手に専念】
それでは、武内はどうして八幡南高へ入学したのか。プロで新人王を獲得するほどの投手なのだから、中学時代に多くの高校が勧誘へ動いてもおかしくはないだろう。
野球部1期生として入学した折尾愛真中時代は、2年時に左ヒジを手術した影響で、投手として脚光を浴びることはなく、野手に専念していた。ただ、武内が3年夏の大会を視察した福盛監督は、キャッチボールをする姿に目を奪われていた。
「フォームがめちゃめちゃきれいでしたね。体も大きかったので目立っていました。バッティングでも大きな当たりを飛ばしていましたよ」
それでも、中学で実績がなければ、強豪私学への進学は難しい。後日、八幡南高を志望していることを聞いた。
「折尾愛真中の監督さんが八幡南のOBということと、その当時の八幡南がちょうど秋季九州大会に初出場したり、夏の福岡大会でベスト4まで勝ち上がったりといったもあり、本人が希望してウチを受験してくれました」
こうした縁があって入学した八幡南高では、故障明けに加え、軟球から硬球に変わるということもあり、投手としては無理をさせず、野手メニューをこなしながら段階を踏んで育てていった。当時副部長だった大津敦司教諭は、「最初は投手という事実を知りませんでした」と懐かしそうに振り返る。
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