トライアウトで元ヤクルト・西田明央が見せたサブプレーヤーの矜持 2安打4出塁よりも輝いたマスク越しの献身力 (3ページ目)
【縁の下の力持ちとして貢献】
西田は長らくサブプレーヤーとしての道を歩んできたと先述したが、決して存在感がなかったという意味ではない。
打力を買われてファーストで起用されたこともあれば、代打としても19年には35回の代打起用で出塁率.314をマークしてチームに貢献。同年のオフには若手の指導や雰囲気づくりを評価されて年俸が200万円アップするなど、ムードメーカーとしての役割も担った。
そしてキャッチャーとしても、中村がケガで29試合出場にとどまった2020年には54試合でスタメンマスクを被り、チームの窮地を救ってきた。
その20年には、小川泰弘のノーヒット・ノーラン達成をキャッチャーとしてアシスト。その実績が評価され、同年9月には「燕(えん)の下の力持ち賞」を受賞。
目立たないところでチームを支えてきた西田だからこそ、舞台がトライアウトになっても急造バッテリーの相方を引き立たせることができたのだろう。
トライアウトで一番よかったポイントを問われると、西田がこう答えた。
「え〜、何ですかね。シートノックで始めから声を出せたのがよかったですね。緊張というか、やっぱりお互いのことをあまり知らない選手でプレーするんで。ああやってシートノックできて、それがよかったんじゃないですか。結果どうこうってよりも」
結果的に西田は断りを入れたが、球団がスタッフとして引き留めたくなったのもうなずける。
今後は現役続行も含め、新しい道を模索することになる。だが、プロ野球選手以外の道を歩んだとしても、グラウンドでの振る舞いと同じように、西田は目配り、気配りを絶やさず相手を立てることだろう。
西田明央がトライアウトで見せたものは、チームを縁の下で支えて続けてきた男の生き様だった。
著者プロフィール
杉田 純 (すぎた・じゅん)
1996年生まれ、東京都出身。大学卒業後、金融機関勤務を経てボートレース専門紙「ファイティングボートガイド」の記者に転身。現在はボートレース取材の傍ら、野球の記事執筆も手掛け、12球団合同トライアウトは22年から3年連続で取材。目標はこの欄で紹介できるような著書を書けるようになることと、舟券の年間回収率100%超え
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