栗山英樹が振り返った日本ハム監督就任1年目 指導者経験のない指揮官はなぜ優勝できたのか? (2ページ目)
【コーチを連れていかなかった理由】
──前任の梨田昌孝は近鉄バファローズの監督時代にリーグ優勝を経験、2009年にもファイターズをパ・リーグの頂点に導いた。しかし、2010年は4位に沈み、2011年も優勝を逃した(2位)。しかも2011年に18勝(6敗)を挙げたダルビッシュ有(現サンディエゴ・パドレス)がポスティングシステムを利用してメジャー移籍することが決まっていた。栗山は参謀役を同行させることなく、単身でチームに乗り込むことにした。
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私が誰かコーチを連れていくということは、まったく考えませんでした。私の性格や考えを知る人が身近にいてくれれば精神的にもラクだし、助かることもあるでしょう。しかし、それまでチームにいたコーチ陣のなかに私が入ることを決断しました。
このことはマイナスかもしれないし、プラスになるかもしれない。
私が監督になる前のファイターズの状況を見た時、チームの成績はよかった(勝率.526でリーグ2位)ので、コーチを変える必要はないと考えました。
本当に、はじめは何もわかりませんでした。プロ野球には12球団ありますが、チームによってやり方は違います。チーム内の決め事がどういうものなのかと聞くところから始めました。
もちろん、攻撃でも投手起用でも、最終的に決断するのは監督です。それは頭ではわかっていましたが、いざ自分が決断する段になると、「えっ、俺が決めるの?」という感じでした。チームにはそれぞれの分野の専門家であるコーチがいるので、投手コーチや打撃コーチと「これまではこうしてきましたが、どうしましょうか」という会話になっていきました。
私が監督になるにあたって、してはいけないと思ったのは、自分のモノサシで見ることでした。チームにとって最善なのは、選手の成績がよくなることです。目の前で起こっていることが選手にとって、いいことかどうかを考えて、いいものはそのまま残し、悪いところは変えるようにしていました。新しいことをやりたくなるのもわかりますが、私の場合はそうじゃなかった。だから、コーチをそのまま残したのです。
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