栗山英樹が振り返った日本ハム監督就任1年目 指導者経験のない指揮官はなぜ優勝できたのか? (3ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

【やれることは全部やり切った】

──2012年、栗山新監督のもとでチームはスタートした。絶対的なエースだったダルビッシュはもういない。開幕投手を任されたのはプロ2年目の斎藤佑樹だった。前半戦を2位で折り返したファイターズは埼玉西武ライオンズと首位争いを繰り広げ、10月2日にリーグ優勝を決めた(74勝59敗11分、勝率は.556)。

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 私の人生の中で一番苦しかったのはこの1年です。あんなに苦しいと思ったことはなかった。プロ1年目の時、病気をした時よりもつらかった。1年中、ずっと人目にさらされて、評価され続けた1年間でした。

 スタメンを決める、サインを出す、ピッチャーを代える、代打を出す......すべての場面で判断を求められ、ひとつ動くたびに結果を問われる。ベンチにいる全員から「監督、そのサインで大丈夫?」と思われているのが空気でわかる時もありました。相手はもちろんのこと、味方の目とも戦う日々でした。

 失敗しても、うまくいっても、その判断を下した根拠を監督は示さなければいけないと私は考えます。選手にもコーチにも、応援してくれるファンにも。自分の判断に対して、あんなに考え続けた1年間はありません。「なんでそのサインを?」「本当に大丈夫?」という目と戦った1年間は、一瞬たりとも気が抜けませんでした。

 勝てばOK、だけど負けたら許さない──毎日、そんな空気を感じていました。

 プロ野球では、勝っても負けても試合は続きます。

 監督という仕事に慣れることはありませんでした。優勝争いをしている時も「どうやったら優勝できるの?」とまわりのスタッフに聞いたものです。選手たちやコーチには優勝した経験があるからです。「9月頃になったら、だんだん方向性が出ますから」と言われて、そういうものなのかと思うくらいで。

 私には優勝争いをした経験がなかった。わからないままでずっと戦っていきました。毎日毎日が必死で......10月2日、ライオンズが負けるのをテレビで観戦している時に3年ぶりのリーグ優勝が決まりました。

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