仁志敏久がNPB14年の現役生活で驚愕した選手は? 「圧倒的な飛距離」「あのストレートは突出していた」 (4ページ目)
── 多くの指導者から影響を受け、今は解説者として客観的に、大学教員として論理的に野球を表現されています。現時点における仁志さんの"指導者論"とは?
仁志 状況に応じて、選手は自主的なプレーを、指導者は適切で的確な指示ができるかどうか。そのために指導者は、膨大な知識と経験に基づくいろんな引き出しを持っていなければいけません。今の自分にとって、多くの知識を得て、準備しておくことが大事だと思っています。
仁志敏久(にし・としひさ)/1971年10月4日生まれ、茨城県出身。常総学院から早稲田大、日本生命を経て95年のドラフトで巨人から2位指名(逆指名)を受け入団。1年目から114試合に出場し、打率.270、7本塁打、24打点の成績を残しセ・リーグ新人王に輝いた。2004年には28本塁打を放つなど、強打のリードオフマンとして活躍。また名二塁手としても名を馳せ、99年から4年連続ゴールデングラブ賞を獲得。07年に横浜(現・DeNA)に移籍し、10年には米独立リーグでプレーしたが、故障などもあり同年6月に現役引退。その後は野球解説者としての活動の傍ら、侍JAPAN U−12監督などを歴任。21年から3年間、DeNAの二軍監督を務めた
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