仁志敏久がNPB14年の現役生活で驚愕した選手は? 「圧倒的な飛距離」「あのストレートは突出していた」 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

【長嶋茂雄監督の野球とは?】

── 現役引退後、筑波大学院で学びました。

仁志 人間総合科学研究科でバイオメカニクス(生体力学)の研究のなかで、動作解析を学んだりしました。自分から学びに行ったので、どの授業も興味深かったです。修士論文の題目は『バットの握り方によってのスイングの変化』でした。

── 20年からは江戸川大学社会学部の客員教授として教鞭を執っています。

仁志 大学院で修士課程を修了し、『指導者論』の授業のお声がけをいただきました。具体的にはスポーツ指導者の使命や役割、プレーヤーの心理的な動向把握などです。指導者論は答えがあるようでないところもあるので、考え方や言葉をいろいろな文献で今一度調べ直し、自分なりの教科書を作成しています。

── 21年から23年までDeNAの二軍監督を務めました。

仁志 指導はやりすぎてもよくないし、何もしないものよくない。練習としてやらせるのか、自主的に考えさせるのか。その加減が難しいです。しかし、指導法として「何の目的で何をさせたいのか」は明確にしておかないといけないと思います。そして、練習時は"技術コーチ"であっても、試合では"戦略コーチ"になるべきだと思います。

── 仁志さんはアマチュア時代、名将のもとで野球をやってこられました。

仁志 常総学院(茨城)の木内幸男監督は、常識や固定観念にとらわれず、状況に応じた"最適"に選手や作戦を当てはめていきます。僕の野球の原点は木内監督です。早稲田大学の石井連藏監督は、精神を大事にする野球でした。日本生命の井尻陽久監督は、大学時代に全日本に選ばれた時のコーチで、社会人野球はもちろん、国際試合の経験にも長けていました。

── プロに入ってからは4人の監督に仕えました。

仁志 長嶋茂雄監督は、ファンの方が思っているよりもオーソドックスな野球で、選手の実力をしっかり評価し、信頼してくれる監督でした。原辰徳監督は、勝敗や結果に厳しく、プロ意識が高かったです。堀内恒夫監督は、ぶっきらぼうに思われているかもしれませんが、細やかな気遣いをしていただきました。横浜の大矢明彦監督は、チームの苦しい時代に指揮を執られて、僕自身が力になりきれず、申し訳なかったと思っています。

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