仁志敏久がNPB14年の現役生活で驚愕した選手は? 「圧倒的な飛距離」「あのストレートは突出していた」 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 次はどの球種で誰になりますか。

仁志 スライダーでヤクルトの伊藤智仁さんです。97年に対戦したのですが、あんなに曲がるスライダーを投げるピッチャーはいません。可動域が広そうな右腕の使い方が独特で、それがあの曲がりを生んだのでしょうね。

── 最後のひとりを教えてください。

仁志 横浜で活躍されたフォークボールの"大魔神"佐々木主浩さんです。ほぼストレートとフォークの2種類で勝負していました。それであれだけ長い間ストッパーとして活躍したのですから、すごいですね。聞いた話ですが、佐々木さんのフォークは4種類あったらしいです。スライド回転とかシュート回転とかあったと思うのですが、打者からすれば落ちればみなフォークです。

【今の考え方で若い頃の自分に指導できたら】

── 2007年に巨人から横浜(現・DeNA)に移籍しました。

仁志 球団ごとの特徴を肌で感じられたのは、自分自身にとっていいことだと思いました。移籍を経験していなかったら、巨人の方法論がすべてだと思っていたかもしれません。ただ、横浜での3年間は4位、最下位、最下位と、負けが多かったことは悔しかったですね。

── 移籍1年目のシーズンは150安打を放つなど、存在感を発揮しました。横浜時代、一番印象に残っていることは何ですか。

仁志 移籍1年目にサヨナラ安打を2本打ったことですかね。

── NPB14年の現役生活で通算1587試合に出場し、1591安打、打率.268、154本塁打、541打点、135盗塁。この数字について、どう思いますか。

仁志 たいしたことないなと思いますね。プロ入りした時は自信満々でしたが、技術も身につけていなくて、野球を考え始めた頃には体力が落ちていました。もっとうまくできたんじゃないかと。今になって、そう思うことがあります。

── これだけの成績を残された仁志さんでもそう思うのですね。

仁志 今の時代、科学的にも検証できますし、さまざまなアプローチの仕方があります。僕自身は、現役を辞めてから知識がすごくたくさん入ってきました。今の自分の考え方を持って、若い頃の自分に指導できたらなと思います。中途半端な成績だったり、選手としての振る舞いだったり......少し後悔しています。だからこそ今、いろいろと勉強しようと思っています。

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