【追悼】ルーキー原辰徳がセカンド→控えになった篠塚和典に長嶋茂雄が「腐るなよ」 巨人の安打製造機が振り返る救いの言葉
プロ野球・読売巨人軍の選手、監督として活躍し、「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が逝去した。なぜ長嶋氏は誰からも愛されたのか。スポルティーバでは今回追悼の意を込めて、巨人軍の愛弟子のひとりである篠塚和典さんが、「人生を変えた」という長嶋氏との出会いを振り返ったインタビュー記事(全3回)を再掲載します(2023年4月掲載)。謹んでご冥福をお祈りします。
野球人生を変えた名将の言動(10)
篠塚和典が語る長嶋茂雄 中編
(前編:巨人のドラ1指名を喜べなかった篠塚が「ミスターに恥をかかせちゃいけない」と思った瞬間>>)
指揮官として巨人を5度のリーグ優勝、2度の日本一に導いた長嶋茂雄監督。長らく巨人の主力として活躍した篠塚和典氏に聞く長嶋監督とのエピソードの中編は、熾烈なレギュラー争い時にかけられた言葉や、練習時に受けたアドバイスなどについて聞いた。
篠塚(中央)と原(右)を迎える長嶋監督
【ルーキー原がまさかのセカンド起用で「冗談じゃない」】
――長嶋監督は、選手とコミュニケーションを積極的にとる方でしたか?
篠塚和典(以下:篠塚) そうですね。特に第一次政権(1975年~1980年)の頃はミスターも若かったですし、バッティングも守備も手取り足取りで指導を受けました。ミスターが実際に動きを見せてくれるのですが、選手たちはそれを見て学ぶことが楽しみでしたね。あんなに動ける監督はあまりいなかったですから。
【他のミスター話を動画で見る】原辰徳、地獄のキャンプ裏話 篠塚和典×定岡正二 スペシャル対談
――(前編で聞いた)ドラフト会議の時の言葉をはじめ、野球人生の節目で長嶋監督からさまざまな言葉をかけられてきたと思いますが、印象に残っている言葉は?
篠塚 1981年のレギュラー争いの時ですね。その前年にプロ入り後初めて100試合以上に出場できて、1981年は「セカンドのレギュラーを確保したい」と意気込んで臨んだシーズンでした。そんなタイミングで、原辰徳(1980年ドラフト1位)が入ってきたんです。
彼はサードでしたし、「セカンドにくることはないだろう」と思っていたのですが......サードには中畑清さんがいた関係で、原がセカンドにきたんですよ。それは確か、ベロビーチ(米フロリダ州)でのキャンプの最終クールの時だったと記憶していますが、「まさか」と思いましたね。
――予期せぬ事態だったわけですね。
篠塚 そうですね。「冗談じゃない」という思いもありましたが、まだキャンプの段階ですし、「勝負はこれからだ」と気持ちを切り替えました。ただ、オープン戦でだいたい使われ方がわかるじゃないですか。オープン戦が残り少なくなってきた頃には、僕がベンチにいて、原がセカンドで起用されていました。
そんなタイミングで、ミスターが電話をかけてきたんです。ミスターは前年で監督を退任していたのですが、気にかけてくれていたんでしょうね。「腐るなよ。必ずチャンスがくるから、チャンスをもらった時にしっかり力を出せるように準備しておけ」と。さらに、「ベンチにいる時も、練習中も、常に"試合"を意識して取り組め」と言われたんです。
その言葉をきっかけに、バッティング練習をする時はランナーを自分で想定して「どういうバッティングをしたらいいのか」、ノックを受ける時は「打者は足が速いのか、普通なのか、遅いのか」といったことを想像しながら動くようにしました。
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著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。