江夏豊はリリーフとしての調整法を確立 「優勝請負人」となり、初のセ・パ両リーグでMVPに輝いた (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 広瀬の一喝によって、あらためて抑えとして始動した77年の江夏は、41試合に登板。4勝2敗19セーブ、防御率2.79という成績を残し、自身初めて最優秀救援投手のタイトルを獲得する。リリーフとして生きていく準備が整った形だが、シーズンオフ、野村が公私混同問題で監督を解任され退団。"野村信者"の江夏も紆余曲折を経て退団となり、広島にトレードされた。

 移籍2年目の79年。江夏は55試合に登板して9勝5敗、22セーブを挙げて自身2度目の最優秀救援投手のタイトルを獲得。75年以来となるチームの優勝に貢献し、自身の野球人生で初めての優勝を経験し、MVPに選出された。

 近鉄との日本シリーズ第7戦では、9回に無死満塁となっても1点リードを守り切り、球団初の日本一をもたらした。その場面は『江夏の21球』と題されたノンフィクションになったが、江夏はこの試合、1点リードして迎えた7回途中から登板。実際には2回1/3、41球を投げている。抑えが1回限定になるのは、まだまだ先のことである。

 翌80年も広島の連覇に貢献した江夏は、オフに日本ハムに移籍。81年のリーグ優勝に貢献した時には「江夏といえば優勝請負人」の呼び名が定着した。まして、MVPに選ばれて初の両リーグ受賞。自身は「人の投票で決まる賞に価値が見出せなかった」と言うが、優勝チームに優秀な抑えあり、優秀な抑えなくして優勝はなし、という時代が確実に到来していた。

(文中敬称略)


江夏豊(えなつ・ゆたか)/1948年5月15日、兵庫県出身。大阪学院高から66年のドラフトで4球団から1位指名を受け、阪神に入団。その後、84年に引退するまで阪神をはじめ、南海、広島、日本ハム、西武と5球団で活躍。最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振6回、最優秀救援投手6回、ベストナイン1回、沢村賞1回、MVP2回など数々のタイトルを獲得。また、68年にはシーズン401奪三振の世界記録を樹立し、71年のオールスターでは9連続奪三振を達成するなど、数々の伝説を持つ。通算成績は206勝158敗193セーブ

著者プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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