江夏豊はリリーフとしての調整法を確立 「優勝請負人」となり、初のセ・パ両リーグでMVPに輝いた (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 埒(らち)が明かなくなった江夏は、親しい記者に「アメリカのリリーフ投手の調整法を調べてくれないか」と頼み込んだ。実際に資料を入手できたが、いざ見てみると、自分には合わないと気づかされた。となれば、球界の先輩を頼るのも手と、"8時半の男"と呼ばれた抑え投手の草分け的存在、宮田征典(元・巨人)に調整法を聞きに行った。だが、「忘れた」と返された。

【ゲームの前半は好きにしていていい】

 そんな状況下、唯一、野村から指示されたことがあった。それは試合への入り方で、野村は江夏に言った。

「おまえは毎試合、登板のスタンバイをしておけ。終盤以降、リードしている時はいつでも出られるように」

 さらに続けて、「その代わり、ゲームの前半は好きにしていていい。ベンチに入らなくてもいいし、ロッカーで休んでもいいから」と付け加えた。

 野村の指示を基に、ロッカーでマッサージを受け、6回頃から着替えて体を動かし、ベンチに入るというリズムを江夏は見出した。と同時に、リリーフ専門で毎試合スタンバイする投手が、1回からベンチで試合を見ていたら体が持たないということも実感した。

 ただ、当時のプロ野球の常識では、たとえ試合に出ない投手も1回からベンチに入り、控え投手も登板の有無に関わらず試合を見て、ブルペンが空いたら順番に投球練習していた。ほぼリリーフ専門の佐藤も1回からベンチに入っていただけに、江夏のやり方はまさに前例がなかった。

「投手陣はまだしも、野手の人にすれば、完全にリリーフ専門のピッチャーなんてまったくわからない。だから野手の人たちは自分の行動を見て、『江夏は何を勝手なことをしているんだ』と反発するわけよ。当然ながら、控えの野手の人だって、1回からベンチに入るからね。とりわけ嫌な思いをしたのは、広瀬さんから文句を言われた一件だった」

 広瀬叔功は当時プロ23年目、41歳のベテラン外野手であり、通算2157安打、歴代2位の596盗塁を記録した俊足の巧打者。一選手としては人望が厚く、人柄はやさしく、江夏にとってはチームで最も愛すべき先輩だった。その広瀬が、ある日の大阪球場のロッカー、チームメイトが揃っているところで江夏に向かって怒鳴った。

「何しとんのや! 1回からベンチに入ったほうがいいぞ!」

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