ヤクルトの監督となった関根潤三は掛布雅之、ランディ・バース、ノーラン・ライアンの獲得を企てた (4ページ目)
3年間、来る日も、来る日も、関根とともに過ごした。ともに酒を呑まない両者は、試合後には神宮球場近くの行きつけの喫茶店でコーヒーを飲みながら反省点を洗い出し、翌日の試合に向けてのミーティングを行なった。関根の我慢強さを目の当たりにしていたからこそ、関根がスワローズに遺したものをあらためて指摘しておきたかった。
「就任当時のヤクルトはチームのムードが暗かったし、選手たちに何を聞いても、『はい、はい』しか言わなくて、会話のキャッチボールができなかった。でも、そのムードを取っ払って、チームの雰囲気を明るくし、選手たちが自由に自分の意見を言ったり、のびのびとプレーできるようになったのは関根さんのおかげです。私にとっても、あの3年間は本当にいろいろ勉強になった時間でした。今でも関根さんには本当に感謝しています」
すでに85歳となった安藤は、かつて仕えた監督のことを、そう総括した。
安藤統男(あんどう・もとお)/1939年4月8日、茨城県生まれ。土浦一高から慶應義塾大を経て、62年に阪神に入団。内外野を守れるユーティリティープレーヤーとして活躍した。70年にはリーグ2位の打率.294をマークし、二塁手としてベストナインを獲得。同年のオールスターにも出場。73年の現役引退後は、阪神の守備走塁コーチ、ファーム監督などを歴任し、82年から一軍監督に就任。84年まで3年間指揮を執った。87年から3年間はヤクルトのヘッドコーチを務め、2002年から09年まで阪神のOB会長を務めた
著者プロフィール
長谷川晶一 (はせがわ・しょういち)
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターとなり、主に野球を中心に活動を続ける。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。主な著書に、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間 完全版』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ──石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)、『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)、『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』(KADOKAWA)ほか多数。近刊は『大阪偕星学園キムチ部 素人高校生が漬物で全国制覇した成長の記録』(KADOKAWA)。日本文藝家協会会員。
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